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落ちてきたら 昔、赤い鳥というグループが、これからイメージした歌を唄っていたから、ご存知の方も多いだろう。 かないっこない、と思うような願いごとでも、一生懸命願っていると、かなうことがある。 このホームページをながめながらそれを思う。 いろんなところで、バラバラに活動している岐阜県の女性たちを結ぶ、「ネットワーク」がほしい、そう願いはじめて何年かが経った。インターネットというものを使えば、簡単にできるらしい、という情報を聞いてからも何年かが経った。そんなことができるのだろうか、と思いながら、やっているうちに、願いは、ささやかな形ではあるが、かなって、今ここにある。 願いごとは、落ちてくる。この詩は、その真実を指摘している。願うことは簡単だが、願い続けることは、結構難しい。落ちてきた願いごとを、何度でも打ち上げること、めげずに、あきらめずに。一人だけでは疲れてしまうかもしれない。でも、おおぜいの人の手が紙風船を打ち上げてくれたら、紙風船が、地上に落ちることはない。 「ぎふ女性会議ネットワーク」は、打ち上げてくれる、あなたの手を、求めています。 |
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「紙風船」・・・なつかしいなあ。 でも、あの頃の私は、たった一人で風船を打ち上げようとしていた。 一人で打ち続けるものだと思っていた。 そのうち、願い事にちょっと疲れて、ちょっと息切れがして、もう止めようと思った 時、ふと横から差し出された手が、風船を空に戻してくれた。 その後、「もう止めよう」と思うたびに、必ず風船に差し出された、何人かの手。 そして気付いたら、いま、青空に舞い続ける風船の行方を、ニコニコしながら眺めて いるだけの私がいた。 もう、一人じゃない。 誰かが初めて手を貸してくれた時、私は思わずその人に問いかけた。 いま、何人もの手で打ち上げられる風船を見ながら、「私、こんなことしたいの」
と、つぶやいてみる。 小さな声だけど、そんな思いをそのまま言葉にできる自分を、ほんの少し好きになり かけている。 |
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紙ふうせんは、ゴム風船と違って、息を吹き込んで丸くすると、口を離してもつぶれ たり、縮んだりしない。ピンと張りきって球形になった紙ふうせんは、ちょっとつつ いても形が変わらないだけの強さがある。東京ドームの丸い屋根は、その「球」の強 さを利用した建築なのだそうだ。 紙ふうせんで一番不思議なのは、つぶれた紙ふうせんを上手についていると、息を吹 き込まなくても、だんだんふくれて丸くなることだという。 はじめてそれを知ったとき、信じられなかった。 しかし、紙ふうせんを買ってきて、やってみると、本当につ いているうちに丸くなってくるのだ。 そんなことできっこない。 いろんな時、やってみることもせず、そう思ってしまうことがある。息を吹き込んだ
ら丸くなることは、「わかる」。 しかし、ついているだけで丸くなるなんて・・・。
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昨日のテレビ。「関西の動物園がキリンやシマウマを放すために、小型のサファリを 作ったのに、キリンだけがどうしても、畜舎から草原に出ない。キリンは地面の色に 敏感で、今までのコンクリートより緑の芝生の方がやわらかで心地よさそうだと分 かっていても、その1歩が踏み出せない。そんなキリンに、飼育係は困惑している」 という報道。 結婚をひかえて、「嫁いだら、そこの家の植木鉢にも頭を下げるくらいでなくては、
嫁はつとまらない」と母親に言われたのは、明治の話などではなくて、せいぜい四半 世紀前のこと。 「夫の姓になっても、結婚は吸収合併なんかじゃない」とわかっていても、その囲いからでられぬはがゆさ。 紙風船は、打ち上げているうちに、また、まあるく膨らんでくるんだよって言われても、「もし壊れちゃったら・・・」という心の塀は結構高い。 |
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この飽食の世の中で、幼い子どもが 「餓死」 した、というのはいたましい事件であ る。それも両親が食事を与えなかったからというのはショッキングで、連日マスコミ が取り上げている。どうしたら彼女を救えたか、やりきれない思いから 「犯人探し」 が続いているが、私が、一番衝撃を受けたのは、彼女が「段ボールの中に閉じこめられていた」ということだ。 高さ約50センチの段ボール箱。3歳児なら簡単に乗り越えられる高さである。しか し彼女は「発育不全」でハイハイしかできず、自力ではい出すことができなかったと いう。「タンスの中のものを引っぱり出したり、家の中を散らかしたりするなどいたずらが激しかったので、いたずらできないように入れた」とのこと。でようとして当初泣いた彼女も、泣くとたたかれたり、ふたを閉められたりするので、泣かなくなっ たという。 50センチの高さの段ボール箱、檻ではないのだから、はい出せなくても、体重をか けたら、倒れる。そうしたら、外に出られたろうに・・・。 しかし、そこに閉じこめられ、外へ出してと泣くことで訴えても、拒否されたものにとったら、たかが紙でできている段ボールですら、鉄の檻のように思えたのかもしれ ない。自分の力では、動かない、どうしようもない巨大なもの。 檻、ではなく、紙の箱だから、「大したことではない」と両親も思うのだろう。檻に子どもを閉じ込めるのは「虐待」だと思っても、「いたずらする子を、段ボール箱に入れる」ことに、おそらく「虐待」の意識はない。 「発育不全」で手のかかる幼女と、赤ん坊を抱えて、この若い母親も、「段ボール箱」の中に閉じこめられていたのではないだろうか。どうしたらいいかわからない状態の中、そんな箱ぐらい、乗り越えられるでしょ、といわれても、その気力さえな い。「ちゃんと育てられないのは、若すぎるからだ」というまわりの目は、彼女をよけいに追いつめて、段ボールの暗闇に身をすくめさせる。 |