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先週話題になった「結婚」である。 結婚すれば、「当然」男性の姓に変わるのだから、だろうか。 そこに、女は、その道のプロである以前に、「妻」であり、「母」でなければな らない、という「世間」の強い意志を感じる。 「そんなことをするとお嫁にいけない」「お嫁にもらってもらえない」という言葉や気持ちは、まだ強い呪縛力を持っている。 男性にとって結婚は「イベント(出来事)」であり、女性にとっては「生まれ変 わり」なのだ、と〈パラサイイト・シングル〉という語の作者である山田昌弘氏はいう。
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高橋尚子さんの金メダルフィーバーは今も続いているが、オリンピックの最中は、久々の明るいニュースで沸いた柳ヶ瀬が「尚子 金」の垂れ幕で埋められた。 日本において、姓は男性のもの。そして、その姓を名乗る結婚は、企業でいう吸収合併。 その「家」につながる「◇◇家の墓」は、日本の古い伝統と信じられているが、 これは大きな誤解。 吸収合併の結婚で、夫の親族との絆ばかりを強制された女性が、「◇◇家の墓」 に入りたくないと意志表示を始めた。 墓は、単に遺骨処理の問題ではなく、「自分が、いかに生きるか」の集大成。 |
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あまりにも有名な、『源氏物語』の作者は、「紫式部」。 これらは実は、名前ではなく、「ニックネーム」であることがわかっている。貴 族の家に「女房」として勤めに出たときに、呼ばれていた名前で、本名ではない。
ところが、紫式部の娘の名前は、ちゃんとわかるのである。百人一首で「大弐三位」と呼ばれる彼女の名前は、「藤原賢子」。なぜ、よりマイナーな娘の方がわかるのか。 「娘」として、「妻」として、そして「母」として、「家」という私的空間のな かでのみ生きている女の名前が、重要視されなかったのは、千年前も、今も変わらない。「呼び名」さえあれば、事足りるのである。 「夫」の姓を名乗っていたら、先述の賢子さんは、大変である。藤原宣孝と紫式部の娘である彼女の、「夫」(愛人)は、記録にあるだけで、まず藤原定頼、次が、 藤原兼隆(この人の子どもを生んで、乳母になった)、そして優秀な乳母として出世 し(従三位まで)、30数歳のころ、高階成章と結婚したという。若いころは貴公子らとしっかり恋をし、仕事の業績も上げて立身し、中年になって大金持ちの高級官僚と結婚をして身を固めた、という女性である。 |
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与党が「夫婦別姓プロジェクトチーム」を立ち上げ、法務大臣も 「世論を聞いて、今年中に検討を始めたい」というコメントをして、夫婦別姓導入の兆しが見えてきた。 女性問題・男性問題に長らく取り組んでいる人から、「この法案が通ったら、当然、旧姓を名乗るんだろ?」と問われた。「私自身は旧姓に戻る気はない」と答えると、何とも複雑な表情。 私に旧姓に戻るかどうかを尋ねた男性は、民法改正や人権の問題に造詣が深く、それゆえに「自分が自分らしく、妻が彼女らしく生きるため」には、別姓が不可欠と 信じていた。しかし、そう信じる心のどこかに、「同姓でいる今が心地よい」と感じる自分があり、「同姓に拒否感を示さない妻」がいて、その矛盾が後ろめたくてならなかったと言う。 私たちは、「女らしく・男らしく」「母らしく・妻らしく」という様々な縛りから解き放たれたいと望んできた。それらの「思い込み」から解放されて、「自分らしく」生きなければならないと考え続けてきた。 夫婦別姓の導入は、「別姓にしたいと願う人の邪魔はしない」という程度のこ と。 「別姓夫婦は家庭を不幸にする」と声を大にした議員がいたが、家庭の幸せは、家族の一人ひとりが幸せになってこそ訪れるもの。幸せの「形」は、人それぞれ。別姓は、そのたくさんの「形」のなかの一つ。 |
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桜もほころびだして、春が来た。春休みになったせいだろうか、 子どもの姿をそこかしこで見かける。 長い北国の冬が終わりに近づいたことを、戸外にあふれ出す子どもたちであらわした句である。 子どもたちが遊んでいる。 雪が解けても、外へ飛び出さず、家の中で、静かに遊んでいる子どもたち。 |