|
・・・と言っても、『マーケットにわらわらと出没する子どもたち』という話ではない。最近、マーケットにしばしば見かけるようになったのは、男性たちの姿。 しかし本日出会ったのは、そのどれにも属さないタイプで、もしかしたら身の回りに最も「いっぱい」かもしれない男性。 ヒトは「人」ではないだろう。タマやポチが煮物をすることはないのだから。 外食産業最大手のマクドナルドが一番ライバル視しているのは、モスでもミスドでもケンタッキーでもなく、『持ちかえり惣菜産業』なのだそうな。消費者を外に出そうという企みと、家に戻そうとする商法とは、利害関係が大きく相反するという。消費者の私としては、どちらも充実してほしいのが願い。 シンガポールの家庭にホームステイした時、台所に生活臭のないことに驚いた。 手の込んだ料理をしたいなら、それを楽しんでやればいい。しかしそれが「妻の義務」と見なされる時、女たちの声なきストライキが始まる。 |
|
昨日、大型電気店へテレビのアンテナ部品を買いに行った。たまたま在宅していた夫も、自分の買い物があるからと一緒に出かけた。 先日、戸籍に関する学習会に使うために、市役所の窓口で「婚姻届と離婚届をください」と頼んだ。 引き出しから書類を出しかけていた彼の手が、また一瞬固まる。 渡してくれた用紙は、婚姻届2枚に、離婚届1枚。 刻々と変わる世界状況の中で、昨日の常識が明日の常識とは限らない世の中。 |
|
昨日、4月8日は花まつりだった。岐阜のあたりでは、月遅れで5月に行うところが多いが、釈迦の誕生を祝う潅仏会(かんぶつえ)である。 生まれたとき、釈迦はこの像のように右手を高々と挙げ、「天上天下唯我独尊」 といったという。 私という存在は、この世でたった一人。存在している、というそれだけのこと で、それはすばらしいこと。 もっとも、「女」は「人」のなかには入らなかったのかもしれない。「女人は往 生できない存在」なのだから。 新学期。この春学校は、子どもたちをどう迎えたのだろうか? |
|
このところ、3つの番組で立て続けに「主婦の片付けられない症候群」という放送を見た。 私も、家事は好きではない方。さすがに流しに食器を放置はしないが、洗い物は最小限にしたいし、掃除機も必要最小限しか手にしない。 しかし、この「逃げ場」は、諸刃の剣。 「私は子どもなんか産んではいけなかったんです」と嘆きながらも、彼女は、その行為の背景を一緒に考えようとする相談員に言った。 |
|
人の命には、値段が付けられない。それほど、かけがえのない大切なもの。 例えば、集団登校の列に車が突っ込んで、2人の児童が死亡したとする。その2人の性が一緒なら、損害賠償額は同じであるが、男の子と女の子であると、差が歴然とあるのだという。 それは、「逸失利益」の計算方法による。まだ働いていない子どもの場合は、この基礎の数字に、厚生労働省の「賃金構造基本調査」のデータを使う。99年調査で、男子約562万円。女子約340万円。 「男女は平等である」 「男女は平等である」 |