4月22日

顔の値段   (カナコ)


 

かつて盲腸の手術の時、メスを手にした医師は、腰椎麻酔だから会話には支障のない私に聞いた。
「もう、ビギニは着ないよね。少し余分に開くよ。探しやすいから」 そしてさら に、「あとは、普通に糸をかけておくからね」
盲腸は緊急手術で、インフォームドコンセントの間もなく手術台にあがったから、まさに“俎板の上の鯉”。「普通」でないのが、どんなものか分からず、手元が見えるわけでもないので、なされるままであった。

医師の言葉の意味が理解できたのは、病室に戻ってから。
隣のベッドの“うら若い女性”は、指1節分ほどの傷跡。そして、術後も糸を使った縫合ではなく、特殊なテープで止めてあるだけ。私の“焼き豚にかけたタコ糸”パターンの痛々しい傷跡とは、大きな違いであった。
あの時、確かに「ビギニ、着ますよ!」と言い切れる体型でなかったにしても、これは少々納得しかねる処置。
年齢で、対応に“差”をつけることを、『エイジズム』という。

この手術が、事故で顔に傷を負ったような場合だと、少々年齢が高くても、女性への処置は細心を極める。ましてや、患者が若い女性となれば、医師の気合が違う・・・ と言ったら、お医者さんに叱られるだろうか。
患者やその家族にとって、「女性が顔に傷跡を残すのは、致命的なこと」なので、手術にかける願いも切実。医師も深刻にならざるを得ない。
女性の『顔の価値』は、男性よりも高い。だから、この怪我が自動車事故などによる時は、女性への慰謝料は男性より上乗せになると聞く。
しかし、「できることなら、顔に傷跡を残したくない」という願いは、男性だって同じではないだろうか。

今、「男は顔じゃない!」とは言わない男性が増えている。コンビニでも、男性化粧品のコーナーが少しづつ主張を始めている。
外見にばかり価値を求める社会は寂しいが、『女性の外見のみ』にスポットが当てられる社会よりは、面白いかもしれない。

 

 

 

 

4月27日

こいのぼり   (カノコ)

 

「大型連休」がはじまる。さわやかな若葉の中、こいのぼりが泳いでいる。
「少子化」の影響だろうか、以前に比べて、こいのぼりの数は減ったようだが、それでも初夏の風物詩である。
スーパーでも、ちまきや柏餅が売られ、”屋根より高い こいのぼり〜”の歌が流れている。

”大きなまごいは おとうさん” 黒くて立派な鯉は、確かに「父」にふさわしい。
”小さなひごいは こどもたち” 赤だけでなく、青や緑の鯉もある。あれは、子どもたち。
で、お母さんは?

そう聞かれた経験のある方もいらっしゃるだろう。
「赤い鯉」ではない。あれは、子どもなのだから。
真鯉の上の吹き流しや、矢車を指さした方もあるかもしれない。
男の子のいない家が「こいのぼり」を立てることはない。何しろ、男の子のお節句なのだから。
こいのぼりには、女の入る隙はない。もちろん、「お母さん鯉」は存在しない。

五月の薫風を受けて、大空を泳ぐこいのぼりは、父から息子へと受け継がれる「家」 の象徴。
跡継ぎの男の子を産んだ母は、誇らしく、毎朝こいのぼりをあげる綱を引く。
女の子だけのウチは、どんなに子どもが望んでも、こいのぼりをあげることはない。
別に、「法律」で決められているわけでもない、慣習に過ぎないのだが。

奇数の日が重なる日は、「節句」として昔からいろんな行事が行われてきた。
元来は、中国から伝わった行事である。季節の変わり目に、健康を祈ったのである。
それが3月3日は、女の子のお節句、5月5日は男の子のお節句、とされたのは、江戸時代ぐらいかららしい。

「こいのぼりは、家父長制の象徴」なんて思うと、こいのぼりを気持ちよく眺められなくなる。
しかし、「男(オス?)ばっかり」という風景は、やっぱり変。 お雛様には、夫君も、大臣も、五人囃子もちゃんといて、「男女共同参画」なのにね。
新しい内閣には、5人の女性が閣僚に任命された。
国の政治を担う人が、17人集まって、それが「男ばっかり(に近かった)」だった風景の方が、やっぱり変だ、って大勢の人が思うようになる日は、近いかもしれない。

 

 

 

 

4月29日

国際女性デー   (カナコ)

 

「男の子の日」の話題のついでに、女性デーの話。
「3月8日は女性デー」・・・といっても、日本では、かなりマイナー。
1908年に、ニューヨークの労働者街で、女性たちが“パンと参政権”を求めてデモをしたことに由来するこの日は、1910年に、コペンハーゲンで開かれた女性たちの会議で、「国際女性デー」にすると申し合わされた。
以来、各国で「3・8行動」というイベントが行なわれている。

IWD(International Women's Day)と呼ばれるこの日は、第2次世界大戦当事は廃れていたが、1960年項半の女性開放運動で再び関心を持たれ、1975年の国連婦人年を契機に、世界各地に広まって、1978年には国際連合公認の休日に加えられている。
私が、この日を再認識したのは、インターネットのグリーティングカードのページを開いた時。
さすがに日本語版には、この種のカードはないが、英語版には実に様々な「女性デーカード」があふれている。

日本でも、この日がメジャーになるチャンスがなかったわけではない。
1948年、「国民の休日」を決める会議の席で、「婦人の日」を作ろうということになり、さて、いつにするかということで意見が割れた。
「1946年4月10日が婦人参政権獲得の日だから、祝日は4月10日」という意見と、「やはりここは、国際女性デーに合わせるべき」という意見が最後まで折り合わず、結局、休日論議は流れてしまった。
名も大切だが、実が欲しかった・・・と言うと、「朝寝のできる日が恋しいだけ?」 という声が聞こえそうだが。

今年の3月、オランダを旅していた友人が、ちょうど女性デーの大々的なイベントに行き会った。
彼女は、オランダの女性たちに「日本には、女性の日があるか」と尋ねられ、「3月3日は、一応女の子の日なんだけど・・・」とつぶやくと、「そう! 日本にも女性デーがあるんだね!」と喜んでくれたので、訂正するのに必死だったそうな。
「お雛様って、“片付けるのが送れると、婚期が送れる”のだから、これが女性デー とは言いたくなかったのよね」と、彼女は今も憤慨している。

 

 

 

 

5月13日

母の日   (カノコ)

 

今日は母の日。カーネーションの赤が吸い込まれそうないいお天気だ。
「母の日に何を贈りたいか」という調査の結果が昨日の新聞に載っていた。親が健在な全国の主婦を対象に調べたという。
一位 カーネーション  二位 カーディガン・セーター  三位 シャツ・ブラウ ス・・・・と続いていた。
で、気がついた。「エプロン、がない!」
主婦を対象とした調査なのだから、贈る側も、やはり「母」である。贈りたいものは、贈られたいもの。
そこに「エプロン」はない。

「母」といえばエプロン、というイメージは、いつ頃から定着したのだろうか。
白い割烹着が、「主婦」=「母」の象徴のような時代が確かにあった。
今でも、近所のご不幸のお手伝いには、必ず「白い割烹着を着用すること」という不文律がある地域も多い。
割烹着が、「おふくろ」なら、エプロンは「ママ」か。

どちらにしても、それは、「家」の中での、「母」を示す記号であった。
だからこそ、一時、岐阜県で「地域の婦人を集めて、意見を聞く会」が「エプロン会議」と呼ばれていたのだろう。「エプロンがけで、気軽にお出かけください」という 案内文は、「主婦」という役割のみを果たす女性しか、念頭にない。

エプロンは、「おさんどん」(=家事労働一般)の象徴だった。
エプロンをつけている女は、「お母さん」。いつも、みんなの要求に、にこにこと答えてくれる存在。
TVのドラマや、CMを見ていると、よくわかる。実生活ではエプロンはさほど使われているわけではないのに、画面の中の「主婦」は必ず、エプロンをつけている。

四位はバッグ。五位は財布。
そこに並ぶのは、母、主婦、ではない、「一人の女」として欲しいものである。
贈る側の「主婦」たちが欲しいものでもあるのだろう。
今は、女性が個人と家族の間で迷って「母」になりにくい時代だといわれる。
お母さんへのプレゼントなら「エプロン」、という「常識」が崩れているのからも、 それが実感される。
どうも、相変わらず、お母さんならエプロン、と思っている男性は、まだまだ多いようだが。