7月8日

職業は「主婦」  (カノコ)


 

新聞の「社会面」。何か事件や事故があると、関係した人の年齢と職業が書いてある。
この猛暑のなか、熱中症で倒れた人にもそれが書いてあった。78歳「無職」女性、75 歳「主婦」女性等々。
「主婦」と名乗れる年齢って、あるのだろうか?

「職業欄」に「主婦」と書くか、「無職」と書くかは、当人の判断によるのだろう。
その仕事によって、「収入」を得ていないのだから、「無職」と書く人と、「主婦」 は一つの大きな役割であると考える人がいるからだ。
が、今回の熱中症の女性たちの「職業」を見て、もしかしたら「主婦」には、終わりがあるのかもしれない、と思った。脱水を起こしやすいのが、高齢者、ということもあって、たまたま高齢の女性の「職業」を一度に見たためである。

一家に「主婦」は一人、ということもあるだろう。「家政の責任者たる女性」 という意味の「おしゃもじ権」(=主婦権)というところから考えたら、同居してい る息子が結婚して、その妻に「主婦権」を譲れば、「主婦」ではなくなるからだ。
とすれば、「姑」になった時点で、「主婦」は終わり?

食事を、自分のためにだけ作るのは「家事」とはいわない。
食事を家族のために作るのは、当然「家事」である。
自分で着たものを洗うのは、「家事」ではない。しかし、家族が汚したものを洗うのは「家事」。
(他人のために食事を作り、洗濯をすれば、その作業に対しては、当然報酬が支払われる)
「主婦」とは、「家事」を担う人、という意味なら、「家族」がいなくなったら、 「主婦」は終わり?

女と男が結婚すると、「妻」と「夫」になる。
「夫」は「夫」だけだが、「妻」は、どうも同時に「主婦」になるらしい。そして、 「家族」がいる限り、女は職業の有無にかかわらず、「主婦」であることを要求される。
三省堂:新明解国語辞典は、「主婦」を次のように説明している。
「家族が気持ちよく元気に仕事(勉強)ができるように生活環境を整え、食事などの世話を中心になってする婦人。(主として妻に、この役が求められる)」

「退職」すれば、、職業を持っていた人は、「無職」となる。
しかし、家族がいる限り「主婦」は、「退職」できない。「退職」したくても、でき ないようだ。
逆に、いくら「主婦」でいたくても、世話をすべき家族がいなくなれば、「主婦」ではいられないのだ。
「主婦」は、自己選択できない「仕事」。
現在の未婚女性たちの”結婚ストライキ”は、パートナーはいらない、というのではない。
結婚=主婦(家事従事者)、というシステムに否応なく組み込まれることへの、拒否反応ではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

7月9日
    (カナコ)

 

知人の結婚式に出席した。そこで新郎の「上司」のスピーチ。
「結婚の“婚”という字は“女性”が“氏”を変えて、新しい家に入り、新しい人生を始める“日”という意味です」
ちょっと待ってよ!  これって、 女性だけのスタート? 「夫が気持ちよく元気に仕事できるように生活環境を整え、食事などの世話するように」ってこと?

確かにこの文字は、かつては女偏がなくて「昏」と書いていたもの。「士昏礼」という、士(インテリ)階級の結婚ガイドブックもあった。しかし、「昏」という文字は、物の見えない暗やみのことで、「眠」と同系の言葉。
元々は“民”の下に“日”と書かれていたが、唐の太宗李世民というトップが「儂の名の民という字が、『暗い・見えない』という意味の文字に含まれているのはけしからん。今後は“民”の部分を“氏”に変えて書くように」と命令したという逸話が残っている。

……で、なぜ結婚にこの文字が入っているかというと、古代は男女が暗やみに乗じて逢引きを(または夜這いを)したり、隣村から美しい女性を奪ってきたり……結婚はすべて暗やみに紛れて行われる野性的な営みであったから。
そのなごりで、近代まで結婚式は、夜に行われていたものだ。
そんな由来を無視して、いくらゴロ合わせだといっても「氏を変える日」というご挨拶はいただけない。

そう言えば、しばらく前の結婚式では、「夫婦は二人三脚です。しっかりと足並みを揃えて歩いて行って下さい」という祝辞があった。
でも、二人三脚ほどコケやすい歩き方はない。その上、一方がコケれば、必ずもう一 人もコケる。一人一人が自分の足で歩いて行かなきゃ、危なくてしようがない。

ネタ本に載っているワンパターンの祝辞を、そのまま何の考えもなしに使い続ける上司の下で働くのは大変だろうなあ……そんな上司には、「妻が病気なので早引きを」 とか「育児休業を取りたいので」なんて、ゆめゆめ言えないんだろうなあ……と、余分なことを考えるのは私くらいのようで、みな楽しそうに、山のような引き物を両手に下げて家路について行った。

 

 

 

 

7月21日
いってらっしゃい  (カノコ)

 

「いってらっしゃ〜い」と送り出せば、子どもたちが学校や園に出かけていく、という「日常」に慣れた身には、少々こたえる「夏休み」。
「いってらっしゃ〜い。がんばってね」と送り出せば、夫が仕事にでていくというペースに慣れた妻は、夫の退職後、体調を崩す人が多いという。
「子ども」も「夫」も、朝出ていくもの。そして、自分は家に残るもの。それが当たり前の生活、と何となく思いこんでいるから、そうではなくなったときのストレスは、かなり大きい。

しかし、これが「当たり前」になったのは、「サラリーマン」という形で男が就業しだしてからのことだ。
それ以前、日本人の生活を支えるものが「農業」等の第一次産業であったときには、 夫婦はそろって農作業等に出かけるものであった。子どもが学校から帰ってきても、 両親は農作業の最中であるのは、当然のことだった。
農作業に励む親たちを助けるために、特に農繁期に、足手まといの幼児を預かるところから「農村保育所」は生まれてきたのだから。
日が昇る頃から農作業に従事しなければならなかった「ヨメ」たちは、「いってらっしゃ〜い」と子どもを送り出し、「お帰りなさ〜い」と子どもを迎えてやれる生活にあこがれたものだった。
それは、ほんの少し前のこと。

「せつなしと ミスター・スリム喫ふ真昼 夫は働き 子は学びをり」
と、専業主婦でもある歌人(栗木京子)は歌う。そして、
「天敵を もたぬ妻たち 昼下がりの 茶房に語る 舌かわくまで」
とも。
夏休み。いつもは女性たちでにぎわっているお店のランチタイムは閑散とする。

「あなた。がんばってね」と夫にドリンク剤を差し出すエプロンがけの妻、というCMが最近変わった。
「行ってきま〜す」と夫より一歩先に、ロケットにまたがって出勤していくのだ。
「いってらっしゃーい」といってもらえるとばかり思っていた夫は、あわててそのあとからロケットにまたがっていく。

「・・・しかし、これからは男女共同参画社会だ。男も女も仕事も家事も育児 も分かち合っていこうと・・・」と小泉首相が参院選の街頭演説で訴えているという。
「痛み」を伴う改革の時だから、市場原理を強化した経済の活性化のために、女性が労働戦線に加わることが明確に要求されてきたようだ。だからこその「保育所待機児童ゼロ作戦」なのだろう。
CMも、その「政策」を意識しだした、と思うのはうがち過ぎか?

「いってらっしゃ〜い」ではすまなくなるとき。
そのとき、子どもや夫と、どう関わり、どうやっていくのか。
子どもの夏休みは、それを考えるいいチャンスかも知れない。

 

 

 

 

7月29日
学童保育    (カナコ)


「日本列島が亜熱帯暖化しているという記事を読んだ。
明治神宮の庭にソテツが増えているらしい。ソテツは−5度以下だと発芽しないので、人為的に植えない限り増えないのだが、このところ東京の冬がそれ以下になることはなく、夏もソテツ日和が続いて、亜熱帯植物のソテツやシダ類がどんどん増えているという。
「ホワイトハウスにもソテツが繁殖し始めれば、京都議定書の大切さをアメリカも実感するだろう」と、その記事は結んであった。

今日は、議定書の話ではなく、この連日の暑さで思ったこと。
以前に、 学童保育の教室をのぞいて驚いたことがある。そこは暑かった! とにかく暑かった。「それでも子どもたちは元気に飛び回っていた」とは、お世辞にも言えないほどの暑さであった。
昔の子どもは、自然の暑さの中で暮らしていた・・・・・などという御託は、もう通用しない。
“昔”には存在しなかったアスファルトの照り返しと、個々の家庭の室外機から吹き出る熱気が校庭に流れ込み、校舎の周りのわずかな木々では遮ることも弱めることもできない直射日光が、南向きの教室を容赦なく襲う。 そもそも「夏休み」は、暑いからあるのではないか!と憤慨したものだ。

しかし今、私の地域の学童保育にはクーラーがついている。これは、学童保育が有料になったことの成果である。
働く親たちにとって、学童保育の充実は欠くことのできない条件。国の保育園待機児童ゼロ作戦と同時に、地方行政は独自で学童保育の時間延長や、夏休みの高学年保育なども検討し始めた。
でも、全てを「公的援助」のみに求めることは、もはや無理な時代。親も、そのシステム作りに色々な形で参画していかなければならない。費用の一部負担も、その一つ。ほかにも、今までの枠にとらわれないアイデアがほしい。親と行政が共に、「やむなく預ける」のではなく「子供にとって快適なシステム」を作っていきたいと思 う。

しかし地域では、学童保育に疑問の声が聞こえないでもない。「普通の時ならともかく、夏休みまで子どもを預けるなんて、子どもがかわいそうよ。やっぱり母親が家にいてやらなきゃねえ」
しかし、学童保育の子どもたちの表情は、決して暗くはない。
もしかしたら、その笑顔のわけは、「何が何でも、金賞の盾をねらって、“一人一研究”を達成させずにおくものか」と、ねじり鉢巻でお尻をたたく親がいないからかもしれない…。