8月3日

夏休みの憂鬱   (カノコ)


 

「猛暑」が続いている。カッーと、照りつける日差しの中、子どもたちは「夏休み」の真っ最中。
共働き家庭にとって、最大の難関は小学校入学後の「夏休み」だそうだ。保育園にはなかった、40日の夏休みを、どう乗り切るか。放課後どうするかと並ぶ難関である。
子どもが帰ってくるまでのパート労働の母にとっても「夏休み」は悩みのタネである。
子どもに「お帰り」といえるように、と短時間労働を選び、学校行事に出やすいことを第一義に職探しをしても、「夏休み」の間、パートを休めるような職種はそうそうない。7月中旬で、一度退職し、また9月から、というやり方でパートを続ける人もいる。

専業主婦にとっても、朝から晩まで子どもがいる「夏休み」は楽しいものでは ない。「給食」というもののありがたみが、つくづく思われる今頃である。
学校へ行かなくていい「夏休み」を十二分に楽しんでいる子どもは、母にとっては、 頭痛のタネになる。
「ほら、いつまでゲームしてるの!今日の分の宿題は済んだの!」
「科学作品、そろそろ取りかからないと、ダメでしょ!」
「感想文の本、ちゃんと買ってきてあげたんだから、読みなさいよ!」
・・・・子どもに対する話しかけが語尾に「!」がつくような、命令・叱責ばかりになってしまう。

夏休みに親元を離れて13泊14日のアウトドア生活をするという「野麦子ど も長期自然体験村」が、昨日の新聞で紹介されていた(8月2日朝日新聞朝刊)。
全食事付きで参加費は一人4万950円也。文部科学省の委嘱事業で、主催は、飛騨美濃自然学校(058・249・1166)。
欧米にはこういう企画が、いろいろあり、親は費用や目的を見ながら、選択するのだという。

そういえば、『二人のロッテ』(ケストナー作)で、親の離婚によって物心つく前に別れた双子が出会うのも、ビュールゼー湖のほとりのゼービュール村の「小さい少女たちが休暇中暮らすために立てられている子どもの家」だった。
働く母親はロッテにこういって送り出す。「あんたが二、三週間、大勢の元気な子どもたちと一緒に暮らすのを、おかあさんはとても喜んでいるのよ!あんたは年の割にまじめすぎるわ。・・・えくぼをたくさんこしらえて帰ってきてね、うちの小さな主婦さん!」
いつもとは違うところで、いつもとは違う経験をする。
それこそ、長い「夏休み」にふさわしいプランだ。

40日間、母親とぴったりいっしょにいる夏休みは、子どもにとっても不幸で ある。
といったら、けげんな顔をされるだろうか。
何十年か前の、あなたの夏休みを思い出すとき、その楽しい思い出は、「母」とともにあったことだろうか?
むしろ、親や教師の監視の目から離れた、たっぷりした自由な時間の思い出ではないだろうか?
ケストナー(独:1899〜1974)の母は、彼のために「理想の母」となろうとした人である。子どものためなら何事もいとわない、ひたむきな愛情が、当の子どもにとって、どういうものであったかは、彼の『私が子どもだったころ』を読むとよくわかる。
「彼女の賭け札はわたしだった。だからわたしは勝たねばならなかった。だからわたしは母を失望させてはならなかった。だからわたしは一番優秀な生徒、一番けなげな息子にならねばならなかった。母がその大きな賭に負けるということは、わたしには耐え難いことだったろう。彼女は完全な母親になろうと思い、そうなったのだから、 彼女の賭け札であるわたしにとって疑いの余地はなかった。つまり、わたしは完全な 息子にならねばならなかったのだ。」

今から百年近く前のドイツの母子の話であるが、こういう「母」は現在決して 珍しくない。
「何が何でも、金賞の盾をねらって、“一人一研 究”を達成させずにおくものか」 と、ねじり鉢巻でお尻をたたく親は、今もそこにいる。

 

 

 

 

 

8月5日
確かな目    (カナコ)

 

「13泊14日の野麦子ども長期自然体験村に行きたい?」と聞いた時、すぐに「行きた〜い!」と返事をするのは、ほとんどが女の子。知らない生活に飛び込む好奇心や意欲は、男の子より数段強い。新しい体験へ尻込みしてしまう男の子の元気のなさは、どこからきているのだろうか。

あるお母さんの言葉。「娘は私立の中学へ行かせたけれど、息子はやはり地元の中学校にしたのよ。だって、娘はどこに嫁ぐか分からないけど、息子はずっとこの土地で暮らすわけだから、地域の友達がないと困るもの」
この母は、今年、息子にローンを引き継がせる予定で、大きな家を新築した。

先日、新聞の投稿欄に載った作文。『息子が結婚相手を紹介してくれて、本当に嬉しかった。やっとこれで肩の荷がおりると思った。しかしそのあと、彼女は一人っ子だから彼女の姓を名乗って彼女の家に住むと言われて、胸の中を嵐が吹き荒れた ・・・』
この投稿の女性は、『息子の幸せのために、今、一生懸命、思い直そうとしている』 と結んでいたが、同じ状況で友人が彼の母親に実際に言われた言葉は、「人さまに差 し上げるために息子を育てたんじゃありません。お宅に男の子がいないのは、お宅のお母様の責任であって、その責任をこちらに持ってこないで下さい。息子には新屋 (あらや)を建てて出すことにしていますので」

息子が“姓を変えて、彼女の家に嫁ぐ”などと言い出したら、母親には晴天の霹靂。
しかし、「姓」の意識は大きく変わりつつある。
「吸収合併される形の結婚ではなく、お互いに対等でいたい」「改姓は、仕事の継続に不便」「一人っ子だから、姓は変えたくない」等など、別姓結婚を望む女性が年々増えてきた。
本日発表された政府の世論調査では、「自分は別姓にはしないけれど、そんな形の結婚があってもいいんじゃないの」という人を含めると、別姓結婚容認が過半数を超え た。
20代では、「夫婦は同姓」という主張がわずか“男性15%、女性11%”しかな い。
政府は、別姓選択制に向けて、法改正に向けて動き出さざるを得なくなってきた。

ネックは、「でも、別姓だと子どもがかわいそう」という声が60%余りあること。
「姓が違うことイコールかわいそう」というのは、やや短絡的発想。今でも、子どもの一人に実家の姓を継がせている家族もあるし、事実婚で別姓のまま子どもといい関係でいる家族はいくらでもある。
しかし今後、法改正されると、十分な考えもなしにファッションとして“別姓”に走るカップルが出てくるかもしれない。
もし彼らが、別姓を「それぞれの勝手な生活の容認」と捉えていたとしたら、子どもへの影響がないとはいえない。

この多様化した現代、別姓に限らず様々な場面で、選択肢を増やす法改正はどうしても必要。しかし、そのためには、一人一人の“選択できる確かな目”と、“その結果に対する責任”が不可欠。
一人一人が自分自身の“目”を確かめるために、【掲示板】のような場が利用できな いかと、このHPを始めたのだけれど・・・・・。

 

 

 

 

8月19日
帰省   (カノコ)


「お盆」週間も今日で終わる。「帰省ラッシュ」のニュースも、 今日で終わるのだろう。
「帰省」を、三省堂の辞書はこう説明している。
「郷里に帰・る(って親の安否を尋ねる)こと。」

今年も、多くの人が、東から西へ、西から東へ、「帰省」した。
郷里の家に着いたとき、どういって玄関を入ったのだろう。
「ただいま」・・・・?
それとも「こんにちわ」・・・・?

このお盆に、近いところであるが、私も夫の郷里に帰省した。
お盆に限らず、夫の家の玄関で、声を発するとき、ちょっと緊張する。
「ただいま」というべきなのだろうか。
という疑問が胸をよぎるからだ。
自分の実家の玄関を入るときには、なんの緊張もせず、「こんにちわ」といえるのに。

「こんにちわ」という挨拶に、夫の親が「お帰り」と答える。
その時だけ、「嫁」という言葉が脳裏をよぎる。
たぶん、他意もない挨拶の言葉なのだろうが、「夫の家」ではあっても、そこは「私の家」ではない、という思いが、「ただいま」という挨拶を私にためらわせる。

子どもや孫たちの「帰省」を喜び、歓迎する「家」。
それは、夏の風物詩のような、ほほえましい風景ではある。
しかし、やってくる「義兄弟」や「義姉妹」を迎える「あととりの嫁」にとっても、 それは「団欒」の楽しいときなのだろうか。
上げ膳・据え膳の「お客様」の「お世話」で、疲れ果てた「あととりの嫁」が、やっとほっとできるのが、今日ぐらいではないだろうか。

「あととりの嫁」が、「楽」になるのは、「あととりの母」になったときである。
「あととりの母」になれば、いままで自分がこなしてきた「おさんどん」は、「嫁」 がやってくれるのだから。
そのバラ色の未来のためには、この「息子」を手放すわけにはいかない。
遠くの学校や、会社に行ってしまったら、「同居」ができなくなってしまう。このあたりの風習もわからない、知らない土地の「嫁」などもらった日には、私のすばらしい未来はどうなるのか・・・・!
なんて思いが、「息子」をひきとめさせるのだろうか。
知らないところは、怖いところよ・・・と小さいときから男の子の耳元にささやき続けていたりして。

 

 

 

 

8月20日
夫婦風邪    (カナコ)

お盆はね、友達みんなが帰ってくるから、結構クラス会なんかがあるのよ。
だから、ちょっとくらい遠くても、何が何でも帰省しなきゃって思うのよ。
「親の安否を尋ねるために」という大儀名分があるから、大きな顔して泊まれるし、じいちゃん、ばあちゃんに、孫の顔みせるのも、孝行だからね。
それに、何といっても、実家は宿泊“ただ”なのよねえ。

・・・・・という魂胆がミエミエのアニヨメご一行様を、「あーら、いらっしゃい!」と玄関でにこやかに迎えて、「やっぱりお盆くらいは、親孝行しなきゃいけませんものねえ」と微笑みながら、「それじゃあ、水入らずで楽しんでくださいね。私も、実家でゆっくりして参りますので、」と、さわやかに去る今時のヨメ。
ヨメ道の極致は、“期待されないヨメ”になること。
何もあてにしていなかったヨメが、たまにおはぎの一個でも買ってきてくれたら、 これは感動モノ。

それでも、まだまだ多い“むかしヨメ”
日頃の舅・姑への気遣いに疲れ果て、お盆に里帰りした夫の兄弟姉妹のうっとおしさを憂いて、さらに、自分にこんな思いをさせる夫への積年の恨みつらみを漬物石のように抱えて、額に縦皺をよせながらの人生・・・
そして、とどの詰まりが「寝たきり夫への虐待」
シーツの下に忍ばせた剣山・・・精一杯手を伸ばしても届かない所に置かれた一杯の水・・・

あちこちで流行っている、『夫婦風邪』・・・・・
「ねつ」はさめても、「せき」は抜けない・・・・