10月21日

そんな、バカな!!   (カノコ)


大阪地裁は19日、ドメスティック・バイオレンス防止法に基づいて、夫から暴力を受けていた女性の申し立てを認め、夫に対して自宅から2週間離れる退去命令と、妻に6ヶ月近づくなという接近禁止命令を出した。
「DV防止法 初の保護命令」と、新聞各紙が報じている。

ついこの間まで、「DV」といっても、「なにそれ?」といわれることが多かった。
夫が妻を殴ること、それは、単なる「夫婦げんか」に過ぎない、とたいていの人が思っていた。
命の危険を感じるような暴行でさえ、「夫婦間のこと」として警察にも無視されてきた。
暴力の被害者である「妻」たちも、それは普通のことなのだ、と思ってきた。

被害者の視点から女性への暴力を分析し、解決策を練っていくこと・・・という 世界的な取り組みが始まったのが、四半世紀前。日本政府もようやくDV問題の深刻さを認め、「配偶者からの暴力の防止および被害者の保護に関する法律」が4月に成立、そしてこの10月13日に施行された。
2000年中の夫から妻(内縁のものを含む)への暴力の検挙件数。
殺人:134件。傷害:838件。暴行:124件。
総理府男女共同参画室の調査(2000年)でも、20人に1人の女性が配偶者や恋人など親密な関係にある男性から「生命の危険を感じるぐらいの暴行を受けたことがある」 と答えている。
「夫からの暴力に苦しんでいるのは あなただけではありません。」
と、政府公報は、その数字に基づいて訴えていた。

DV法初の接近禁止を申し渡された大阪の男性は、60代だという。
妻は、20年前に結婚してまもなく、夫からものを投げられたり、殴るけるの暴力を受け始めたという。
今年9月に病院で受診するほどの暴力を受けたため、「生命、身体に危害が及ぶおそれがある」として保護命令を大阪地裁に申し立てたという。
地裁で決定を言い渡されたその60代の夫は、「そんな、バカな!!」と思ったのではないだろうか。

「そんなに強く殴ったわけじゃない」「怪我させるつもりはなかった」
「ちょっとした夫婦げんかに過ぎない」「文句を不平ばかり聞かされてたまらなくなったからだ」
「家のことをちゃんとやらないから、注意しただけだ」「腹を立てさせるようなことをいうからだ」
・・・・・しかも、それは、自分だけがしていることではない。自分の父も、祖父もやっていたことである。
どうして、それが「いけない」ことなのか!!

いままで自分がしていることが「当たり前のこと」だと思っていただろう彼にとって、この法律は、理解できない存在かもしれない。
だいたい、妻に対する叱責(だと夫が思っている行為)を、「暴力」といわれたことが既に認められないのかもしれない。
それは、「虐待」ではない、「しつけ」だ、という親でも、「体罰」ではあるが、そ れは「暴力」ではなく「指導」だ、という教師でも、同じだろう。
「暴力」の被害者は、常に黙って耐えるしかなかったのだから。何人もの、「妻」や 「子ども」や「生徒」が命を奪われてきた。
それは「愛のムチ」ではない、「暴力」なのだとまず認識すること、それがまず、最初の一歩なのだ。

 

 

 

 

 

10月22日

当たり前  (カナコ)


岐阜県内の、ある商業高校に通う女子生徒の話。
「うちらの担任の先生(中年男性)は、業者が職員室の入り口まで届けるお弁当を、 職員室の自分の机で食べてるのね。
・・・で、この前のHRの時に先生が言ったのよ。お弁当を毎日机まで持ってきて、 お茶も入れておいてくれる女子はいないかなって。だから、クラスの女子だけで、順番でやることにしたのよ」
4時間目が終わってすぐに職員室に走り、お弁当とお茶の準備を整えた彼女たちは、先生がお弁当を食べ終わる頃にまた職員室に行って、空のお弁当箱と湯飲みを下げる。

それを見ていた他の先生方が、彼女たちにかけた言葉は、2通りあったという。
ひとつは「いくら自主的といっても、そんなことまでするのはおかしくないかな。それにどうして女子だけなのかな?」
もうひとつは「そういう気配りの訓練は、就職してから役に立つから、是非続けなさい。とてもいいことだから。」

女性が食事の準備やあとかたづけをするのは当たり前・・・
職場でも、そういう仕事は女性の役割であるのが当たり前・・・
そのために高校でも、女子生徒に“気配りの訓練”をすることは当たり前・・・
その気配りこそが、女性として世の中を生きるために、欠くべからざるもの・・・
そうやって送られ続ける信号は、結婚後も、彼女たちの思考回路にしっかりと根を下ろす。
「俺を怒らせるようなことをするお前が悪いのだ」という夫の叱責に素直に納得し、 殴られるのは、自分の気配りが足りないからだと自分を責める。

毎日の“お弁当運び”は、間もなく社会に巣立つ女子生徒のためになされる“行き届いた指導”であり、“愛のムチ”なのかもしれない。
でも、こうして育つ彼女たちが、何年かのちに、自分に手を挙げる夫に向かってはっきりと「NO!」と意思表示できるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

10月28日

女が病んだとき  (カノコ)


「お母さんは、いつも笑顔でいて欲しいですね」
母親向けの講演会でもよくいわれる言葉だ。
たしかに、しかめっ面の母親より、笑顔の方がいいに決まっている。
しかし、笑顔ではいられない状態のときはどうするのか、ということを「識者」たちは黙して語らない。
いちばん難しいのは、病気のときである。

頭痛がひどくて、耐えられないときも、「母」は○○とか、◇◇という薬を飲ん で、笑顔を取り戻す、というCMが繰り返し、繰り返し流れてくる。
二日酔いの夫に、妻がやさしく薬を差し出してくれる、というCMはあっても、頭痛の妻に、夫がコップに入った水とともに薬を差し出す、というシーンはない。
具合の悪い妻は、横になることもしないで、1人で薬を飲んで「回復」するのが望ましいのだろう。

2000年に発表された名古屋市のDVに関する調査に、「妻が(病気で)寝ていても妻に食事作りや家事をさせてもよいか」という問いがあった。
「よいと思う」が39%で、第1位。「まあいい」を入れると、半数を超えたという。
また、「高齢社会をよくする女性の会」のアンケート調査には、
<76歳の妻が、38度の熱があるのに夫は何もしない、三度の夫の食事の支度をし、また寝るという状態だった。>
<主婦が寝込んで、小さい子ども2人の世話ができないので、支援を有料で頼むと、夫やその家族から「物入りだね」と嫌みをいわれた。>等々の例が並んでいる。

いつも身の回りが「妻」や「母」によって整えられている夫をはじめとする家族 から見ると、「妻」や「母」が病気になり、そのサービスが受けられないということは、「不当な権利の侵害」なのであろう。
小さいときから「母」のサービスを受け、父(夫)に対する母(妻)のサービスを見て育ってきた子どもは、男=サービスを受ける存在、女=サービスをする存在、という認識を刷り込まれているのではないだろうか。

「高齢社会をよくする女性の会」の代表の樋口恵子さんの作ったキャッチフレーズに、
『老いては夫に殺される』
というのがある。介護疲れのあまりに、要介護者を殺すのは、夫や息子という男性が圧倒的に多いという事実から作られたものだ。
小さいときから、ケアはされても、ケアをすることを要求されないで育ち、ケアの方法を学ぶことなく過ごしてきた男をパートナーにしていると、そうなる可能性があるよ、という警告だ。
病気で寝込んでいる妻を、舌打ちして眺めるような夫に、長期的介護ができると期待する方が無理なのである。

 

 

 

 

 

11月2日

努力  (カナコ)


現在実家に帰省中。
母親の手術に伴う諸々の事情があって、行き来がめんどうだから1ヶ月ほど滞在することにした次第。
荷造りして家を出るとき、しばらく留守にする旨を向こう3軒両隣に伝えたら、反応はひとつだった。「ご主人をどうされるの?」
どうされるったって、一人前の人間を、どうすることもない。我が家には一応、電子レンジも全自動洗濯機も完備?しているし、この節コンビニは、どんな田舎にもある。それほど生活技術に長けていなくても、餓死することはない。

しかし、ご近所さんたちは口をそろえる。
「あなた、いい人選んだわねえ。うちはぜんぜんダメ。今更取りかえられないし、どうしようもないわ」
ほんとうに、どうしようもないのだろうか。(それとも、これってノロケてるだけ?)
確かに、ブラウスやセーターならいざ知らず、パートナーの返品は少々難しい。しかし、今どき政略結婚でもあるまいから、自分で選んだ責任上、多少の努力はいたしかたない。

我が家の夫とて、乳母日傘・・・ほどではないが、十分に手の足りている家庭で、結構大切に育てられた跡取息子。厨房に入る習慣を持っていたわけではない。
昼食に、初めて“冷やし中華”をレクチャーしたときの、彼の言葉。「これって、麺をゆでて洗って、上に野菜やハムをのせるだけなんか」
夕食に、初めて“しゃぶしゃぶ”をレクチャーしたときの、彼の言葉。「これって、野菜を切って、肉と一緒にテーブルまで持ってくるだけなんか」
そして、彼はため息をついた。「今まで、好物を作ってくれる妻に、心から感謝していたオレって、一体・・・・」
(アンタのパートナーの値打ちは、冷やし中華やしゃぶしゃぶと同格じゃないだろうが!)

共働きなら、家事の分担は当然。
専業主婦であっても、妻が長期に家をあけざるをえない事態はあるだろう。妻の緊急入院もないとはいえない。
ましてやこの高齢社会。80歳を過ぎたら、誰がいつ逝くかは予想がつかず、年の順に“お迎え”が来る社会ではなくなった。「お前は、オレより早く死んではいけない」という言葉は、もはや歌の中だけ。
だったら、ある日突然一人になった夫が、餓死することないようにしておくのも「愛」

かつての「女の努力」とは、ひたすら“耐えること”だった。そして周りもそれを求めていた。
でも21世紀の今、もっと積極的な努力があるはず。
パートナーととことん話し合い、お互いにとってよりよい生き方を作り直す努力。
返品は、それからでも遅くない・・・。