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4月の末にパソコンが壊れた。連休中はメーカーが長期休業とのことで、3週間は手元に戻らない。データがなければ、私のすべての作業はストップする。 もともと私は、「ぐーたら」するのが得意ではない。TVの2時間ドラマをボーッと見ていて、外見はいかにも「のんびり・ぐーたら」している状態でも、私の耳には、
「こんなことしてて、いいんかい?」という天使のささやきが、いつも聞こえている。それを“聞こえないフリ”するのには、かなりの努力が必要。だから、「ぐーたら」も結構疲れる。 こうなると、夜は実にヒマである。はじめの1週間は、ただもう手持ち無沙汰。そのうちに次第にソワソワと視点が定まらなくなり、世間から取り残されたような不安が高まってくる。 この長期休暇中に見た夏樹静子氏の推理ドラマに、「過去と他人は変えられないけれど、自分と未来はいくらでも変えられるのだから」という決めゼリフがあったけれど、座椅子からずり落ちそうになりながら飲むコーヒーの味は、私の未来をほんの少 し変えるかも・・・。
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「ぐーたらママ」というマンガがその昔あったような気がする。 だから、少々の熱でも、パパはママが差し出した薬を飲んで勇躍職場に出かけていき、ママは、横になることもなく家事や育児や介護にいそしむものであった。 合い言葉は、「滅私奉公」。 5月はそういうあるべき役割が揺らぐ季節。 5月のさわやかな風を感じると、決まって萩原朔太郎の詩の一節を思い出す。 「ふらんす」へも「きままなる旅」にもいけないときは、せめて「ぐーたら」することで「日常性」を少し離れるしか、この季節を乗り切るすべはないのかもしれな い。
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まだパソコンが入院中の頃、ぼんやりTVを見ていると、コメンテーターなる人の言葉が耳に飛び込んできた。「このごろ、グータラしてる女性が増えましたね」エッ?私のこと? 部屋の中に、ごみ袋が散乱している。テーブルの上には、干からびたカップ麺やコンビニ弁当の残骸。床は布団や衣類の山に覆われて、畳が見えない。 私も片付けは苦手。掃除も好きではない。これも「抑制力がうまく働いていないだけのこと」だと思えば気が楽になるというもの。早速、家族に報告しよう……と喜んではみたが、ちょっと引っかかる。「片付けられない」のがADHDの結果だとするなら、この病気の割合は、圧倒的に男性に多いはず。女性1に対して男性は4〜5倍いなければおかしい。 メディアは、時として、何のためらいもなく偏見の情報を伝える。
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豆ご飯を炊いた。白いご飯の中の緑色のグリンピースは、何より も初夏を感じさせてくれる。 が、家人は誰も豆ご飯を好まない。 母の好物は、「魚の尻尾の方」だと思っていた、というエッセイを読んだことが ある。 主婦:家族が気持ちよく元気に・仕事(勉強)ができるように生活環境を整え、 食事などの世話を中心になってする婦人。(主として妻に、この役が求められる) 新明解国語辞典(三省堂) 自分のことより、家族のことを先に考えるのが、「妻」の役割だった。 自己利益を最優先しても、男性は責められず、女性は責められてきた。
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我が家の場合、家族の好物である豆ご飯がこの時期になっても食卓にあらわれないのは、今のところ台所に立っているのが私だから。 子どもの嗜好は、食べず嫌いであることが多い。だから父も母も料理にかかわれば、子どもたちはそれだけ多様な「味」に触れることができるはず。しかし、男性が台所に立つ場合は、「妻を手伝っているオレって、なんてやさしい夫!」という自己満足に終わってしまうことが少なくない。。 先日、大学生・留学生も交えてのレクリエーションで、グループ分けをした時のこと。「グッパーで分けようよ」と、ごく当たり前にジャンケンを始めた。そして、グーとパーの2グループに簡単に分かれた。 別の留学生に、空港まで送ってほしいと頼まれた時のこと。あいにくその日は都合が悪く、「ごめんなさい。どうしても時間が取れないの」と断ったら、彼は不思議そうに私に聞いた。「どうして謝るのですか?あなたは、謝るような悪いことは何もしていない。自分はあなたに“送ってほしい”という希望を伝えただけ。あなたが忙しければ、また別の人に話すのだから」 国民性の違いといえばそれだけのこと。でも、日本には、自分の希望を述べる習慣がない。たとえ述べたとしても、それらをこだわりなく調整していける習慣がない。
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