11月8日

男の美醜  (カナコ)


美容院で髪の脱色をする際に、その溶液でで頭頂部に重度のやけどを負わされた20歳の男性が、損害賠償を求めた。頭のかなりの部分で皮膚が死ん でしまい、手術でもそのひきつれが消えず、毛が生えなくなってしまったという。
もちろん、裁判でそれなりの賠償は認められる。しかしその賠償額は、女性の場合の5分1にも満たない。

災害保険の施行規則で、後遺障害の等級が決められていて、「外見に著しい醜状を残すもの」は男性が12級、女性が7級。賠償額は諸事情にもよるが、7級のおよそ1000万に対して、12級は200万程度。
「外見に(そこそこの)醜状を残すもの」は男性が14級、女性が12級。14級になると、賠償額は70万位になる。これは、「男性は顔に傷が残っても、心の痛みは少ない」ということ。
男性の「著しい醜状」と、「女性の(そこそこの)醜状」が、同じ等級になっているということは、「それだけ女性は、心の痛みが大きい」と同情して頂けているのか。

ちなみに7級というのは、他には「片方の失明、片方の失聴、手の指三本をなくす」 など。12級というのは「耳の外の部分をなくす、指1本なくす」など。14級は 「腕の露出部分に手のひら大の瘢痕を残す」など。
この14級の規定から判断すると、男性の「顔」というのは、どうも「腕」と同じ扱いらしい。美醜ではなくて、「皮膚の続き」というくらいの・・・。

交通事故などの場合、女性の命の値段は,男性のせいぜい6割。将来の大きな可能性を秘めている幼児でも、その割合は変わらない。
「その分、顔に高い値段をつけてやっているじゃないか」と、まさか裁判所は言わないと思うのだが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

11月22日

美女・美男   (カノコ)


男性の「顔」というのは、「腕」ぐらいの扱い。美醜は問題にな らないと裁判はいうらしい。
見た目じゃない、ということか。

「やっぱり、見た目よ!」と言い放ったのは千年前の清少納言。
〈説教の講師は顔よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説くことのたふとさもおぼゆれ。ひが目しつれば、ふとわするるに、にくげなるは罪や得らんとおぼゆ。〉
(説教の講師は顔がいいの!講師の顔をじっと見つめるから、ありがたみも感じられるのよ。よそ見してるとうっかり忘れちゃうから、醜男は罪だと思うわ。)

光源氏が何をしても許されるのは、その出自もあるが、何よりも彼が美しいから。
「平安」時代は、男は美しくあるべきである、という時代だった。
だから、彼らは入念に化粧をし、着るものに凝り、香をたきしめる。
男は美しくなくてもかまわない、などという価値観はなかった。

義経がもし醜男だっら、彼の人気はいまほどではないだろう。
弁慶はとにかく、義経は、美しくなければならない。現実はいざ知らず、イメージの中で彼はあくまでも美男である。

全国の自治体で、おそらく唯一の「美少年コンテスト」が、兼山町で開かれた。
全国から、我はと思う「美少年」たちが集まったという。
信長の小姓であった美少年、森蘭丸の生地にちなんだイベント。
美しさを競う、少年・青年の審査員は、いったい誰がつとめたのだろうか?

選ばれなければ、種の保存ができないため、クジャクのように、ある種の鳥は雄の方が何倍も美しい。
より美しいことが、雌がその伴侶を選ぶ基準になるからだという。
50年前、戦争で多くの男性が死に、「男一人にトラック一杯の女」といわれた時代には、女たちは「男に選ばれる」ために美しさを競ったのかもしれない。

ほとんど同数(やや男性が多いが)の平和な時代。「選ばれよう」とするのは、 どちらの性なのだろうか。
そういえば、「平安」時代は、その名の通り、戦乱の極めて少ない平和な時代だったという。
「平成」と「平安」。似ているのは名前だけではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

11月24日

男の世界  (カナコ)


「男は顔じゃねえ!」というのは、ついこの間の、TVドラマのせりふ。「男は何とか・・・」という表現は、男性にはたまらない魅力があるよう だ。
「男は・・・」という言葉の深さは、所詮「女・子ども」にはわからない世界という ことか。

それにしても、「男が立たぬ」「男を上げる」「男のロマン」「男の沽券」「男の花道」「男の意地」「男の約束」・・・エトセトラ。
「男」とは窮屈なもの。こうして、生き方を強要されているようで・・・。
しかし、これらの言葉をしみじみ眺めてみると、そこに表現されているのは、虚栄だったり、体裁だったり、感情であったり、ムードであったり、非論理性であったり・・・。

あれっ? 虚栄とか非論理性とか、これらはみな、今まで「女性的」であり「女の腐ったの」が持っている特質とされていたのではなかったかな?
「男はん」は、クールな論理性が売り物かと思っていたのだが、ほんとのところは、 「女性的」な面を一杯持ってていただけるのかも・・・。