1月1日
多岐亡羊   (カノコ)

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたし ます。

今年はヒツジ年。
写真で見たことはあっても、ヒツジは、ウマやウシほどになじみのある動物ではない。
それなのに、よく知っている気がするのは、もしかしたら、「メリーさんのヒツジ」 という歌のせいかもしれない。

♪メリーさんのヒツジ ヒツジ ヒツジ ♪メリーさんのヒツジ かわいいな

世界で最初のクローンを産んだのは、ヒツジだった。
クローンベイビーの誕生か、というニュースが、年末流れた。
真偽のほどはともかく、興味深かったのは、産んだ女性自身の遺伝子を使ったベイ ビーだった点だ。
どこかの大金持ちの男性が、自分の遺伝子を残すために、女性の子宮を使用したのではなかった。
「イブ」は、女性だけの単性生殖(?)で産まれた子。
女性の遺伝子しか使わないのだから、当然生まれたのは女の子。

「産むか産まないか」「産むなら何人産むか」に関して、出産する女性の意志を 十分尊重すること、という条項を条例やプランに入れようとすると、必ず反対が男性からある。
「イブ」の誕生を(それがもし事実なら)、彼らはそれにどう反応するのだろうか。

それがいくら可能なことであっても、やるべきではない。
クローンベイビーについて、私はそう思う。
しかし、「生める」という選択肢が示されたとき、それに心を動かされる人は当然いるだろう。

文明が発達したことによって、人間はさまざまな選択肢を手に入れてきた。
女性は大人になったら、結婚して、夫のために家を守り、その人の子を産むこと、という選択肢しかない時代もあったのだ。
その時、結婚しない女性、子どもを産まない女性は、それだけで、普通ではないという烙印を押された。

さまざまは選択肢があるということは、選ぶ側にそれだけの責任が課されるということだ。
「みんながそうしていたから」といういいわけが通用しない時代。

2003年、ヒツジ年。
多岐亡羊の年がはじまる。

 

 

 

 

 

 

 

1月8日
節目  (カナコ)

新春のワイドショーで、俳優リチャード・ギアに若いリポーター が、例のごとくアホな質問をしていた。
「最近、妻の不倫が増えているようですが、その理由は何だと思われますか?」
彼は、不機嫌そうな表情で答えた。
「夫の不倫は、ずっと以前からたくさんありましたよね。夫の不倫の理由は何だと思っているのですか?」
“夫の不倫は当たり前。妻は不倫しないもの”という常識に凝り固まっていたリポー ターは、一瞬、リチャード・ギアの言葉の意味が分からず、目が点になっていた。

色々の「当たり前」や「常識」が、どんどん覆されて行くのは、ちょっとばかり面白いなあと思いながら生きているこの頃。“卵子と精子がなければ受精卵はできない” という、あまりにも当然であった常識までが、音を立てて崩れてしまった。
クローンベイビーは絶対にあってはならないことだし、今回の出産報道も真偽の程はまだ定かではないけれど、少なくとも不可能でないことだけは確か。
だから、世の男性たちが「男でなきゃ」と大言壮語しているのを見た時、心の片隅で、「いざとなりゃ、私たちは一人でも子どもは産めるのよ」と思ってみるのは、悪い気ではない。(決して、誉めたことではないが・・・)

しかし、かつて不妊治療を体験している私にとって、「女は、クローンまで試みて、 産まなきゃならないのか」と歯噛みする思いのあるのも事実。
“産む可能性”を持っていることと、産まなきゃならないのとは違うはず。それなのに、可能性があるというだけで、見えない糸が絡みつき、気がついた時には「何としてでも産まなきゃ!」と、身も心もがんじがらめになっている。
不妊治療の怖さは、“産む”という最終目的まで、果てしない泥沼の続くこと。「ここまでやったことが無駄になる」という思いは、次々と新たな治療に挑ませる。
昨年、厚生労働大臣が「少子化対策のため、不妊治療に補助金を出しては?」と発言していたが、そんな予算が取れるなら、「産まなければ・・・」という強迫観念をあおるより、「夢ある子育て環境」に使ってほしいもの。

昨日の常識が今日の常識ではなくなる“多岐亡羊の時代”だからこそ、新年は、自分の正直な気持ちと向き合って、自分の本当に願うものをあらためて見直してみる節目でありたい。
「自分に正直」であることは、「わがまま」ではないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

1月13日
成人式   (カノコ)

今日は、成人式。
だが、どうにもしっくり来ない。成人式は、1月15日、とインプットされているからだ。
わかっていても、若いころ(幼いころ)に覚えたことを「変更」するのは、けっこうむつかしい。

今年の新成人は全国で152万人。
10年前に比べて約50万人も少ないそうだ。今後も「少子化」で新成人は減るいっぽうだという。
小中学校の「同窓会」を、「公費」(つまり税金)を使ってやる必要があるのだろうか、とは思うが、ある意味、今後の「日本」を支えていただく、大切な「労働力」なのだから、やむを得ないか。

152万人の内訳は、男性77万人、女性74万人だとか(四捨五入で合計は総数と一致しない)。
数万人ずつ男性が多いのも、ここのところ続いている現象である。
成人式では、もっぱら振り袖姿の女性が目立つので意識はされないが、この人たちは、たいてい「女子」より「男子」の方が多い教室で学んできたのだ。
戦死者のない平和な時代。当然、男性の方が女性より数は多くなる。
この現象は、男性死亡者の数が女性より圧倒的に多くなる50代まで続いている。

「結婚しないから、子どもも生まれない」と非難されても、77−74=3 なのである。
この年だけではなく、ずっと男性の方が多いから、その差は掛け算になる。
結婚したくても、一人と一人がカップルになれば、当然あぶれる人がでてくる。

今社会の中枢を担っている人たちの若いころはそうではなかった。
結婚は、しようと思えば相手はあるもの。結婚をして一人前等々。
若いころに刷り込まれた意識を変えるのは、むつかしい。

結婚を選択しない人と、結婚ができない人が増えていく中、生まれる子どもの数が100万人を切る日が、近づいている。

 

 

 

 

 

 

 

1月20日
愛してる  (カナコ)

リスナー参加のラジオ番組で、電話をかけてきた女性が、弾んだ声で話していた。「娘が高校を卒業するんですよ。来月からは自主登校になるので、もう5時起きしてお弁当作らなくても済むんです。30分よけいに寝ていられると思うと、嬉しくって…」その気持ち、分かるなぁ〜と思って聞いていた。
しかし、そのあとの男性パーソナリティのコメントには、オイオイ!待ってよ!と突っ込んでしまった。
「この方、お弁当がなくなって、本当は寂しいんでしょうねえ。お母さんですものね」
なんで、そうなるの?30分よけいに寝ていられる幸せが分からない?
もちろん、お弁当作りの好きな人もいる。しかし、母ならばみんな好きなわけではない。そして、好きでないからと言って、子どもを愛していないわけではない。

そしてまた、その晩の呑み会で聞いたセリフ。
「あいつのカミさん、カッターをクリーニングに出すんだって。自分でアイロンかけてくれないんだよ。かわいそうになぁ」
なんでそうなるの?アイロンかけと愛情と、どこでどうつながるの?
もちろん、アイロンかけの得意な人もいる。しかし、妻ならみんな得意なわけではない。そして、得意でないからと言って、夫を愛していないわけではない。

しかし、たかがお弁当やアイロンで「愛」が伝えられるならば、「愛している振 り」って、けっこう簡単かも・・・・