4月5日
only one  (カナコ)

4月5日 「only one」 (カナコ)

♪困ったように笑いながらずっと迷ってる人がいる
♪頑張って咲いた花はどれもきれいだから仕方ないね
♪やっと店から出てきたその人が抱えていた
♪色とりどりの花束と嬉しそうな横顔

毎日どこかのチャンネルから流れてくるので、リズム音痴の私でも、知らないうちに口ずさむことができる。歌詞も、けっこう胸に響く。
先日、この歌を使ってのワークショップがあった。
「迷いながら花を買ったこの人は、男性でしょうか。それとも女性でしょうか」

「花を買うのは、やはり女性でしょう」
「いや、女性に花を贈ろうとしているのだから、男性でしょう」
「一人暮しの女性が、自分へのご褒美に買ったんじゃないかな」
「テレ笑いをしてるから、やっぱり男性だと思う」
「女性なら色とりどりの花なんか買わないよ。シンプルなのを選ぶでしょ?」
「それは“女性”というより、“あなた”の好みなんじゃないの?」
ケンケンガクガク。でも、結論は・・・どっちでもいい。
そんな自由な話し合いの中で、「女ならこうするはず。男だったらこう考えるはず」 という思い込みが、自分の心の中にしっかりと根をおろしていることに、あらためて気づきあう時間。

男とか女とかいう前に、「私」という“only one”であるはずなのに、ついつい束ねてしまうのは、誰かと一緒の方が安心していられるからかもしれない。
そういえば、学校でもセンセが「個性を大切にする教育」と言いながら、「センセの中にある“枠”からは、絶対に“はみ出ない個性”であること」という条件付きだったような気がする。
only oneの心地よさを知らないままに育ってしまった今、心地よいだろうな とは思いつつも、一人で立つことの心細さの方が先に立つ。

「私は、今の私のままでいい。私は、私自身が大好き!」
どんな生き方をしていようとも、そう思えることが“only one”の心地よさ。
今の私のままでいいのかどうかは分からないが、仲間の温かさをしみじみ感じられる「自分」が、最近はほんの少し好き・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

4月20日
teach   (カノコ)

「少年よ大志を抱け」というメッセージで知られるクラーク博士が、札幌農学校に在職したのは、わずか8ヶ月だったそうだ。
8ヶ月しか在職しなかった博士の教えがどうしてそれほど有名になったのか。
彼の教えを直接受けた1期生が2期生を教え、2期生が3期生をというように先輩から後輩へとその教えが受け継がれていったのだという。
では、なぜ1期生たちはそれを後輩に伝えることができたか。

教師による一方的な講義ではこういうふうにはならない。
どれだけ「覚えたか」が教師によって「採点」されていくだけで、知識はその人まででとどまってしまう。
教師がやり方を見せ(see)、次にそれをやらせ(do)、次に学んだことを後輩に教えさせる(teach)。
教える、という体験によって、学んだことが確実に自分のものになるという。
クラークの教えはこうして伝えられてきた。

ひとりの教師が教えられる数はたかがしれている。
どんなにすばらしい教師であっても、たくさんの人に伝えることはできない。
学んだものが、学んだことを、まだ知らない人に伝えていくこと。
そのやり方の方がよりたくさんの人に伝えられる。

つたない技術、あいまいな知識は、むしろ教えなければならないときにこそ、正される。
一方的に教わるだけでは、いつまでも無責任でいられるが、教えるときにはそうはいかない。

学んだことを、より多くの人に伝えていく試みが、市民による自主講座としてはじめられている。
新学期。
何かを学ぶのに、遅すぎるということはない。