5月1日
夫帯  (カナコ)

先日、幼い頃から遊び場にしていた尼寺が、廃寺になってしまっ た。尼寺は、後継者をみつけるのが難しいとのこと。
男性が住職になる場合は、普通に妻帯して暮らせるので、僧侶を職業(自営業)選択肢の一つとするのにハ−ドルは高くないが、尼僧はそうはいかない。生涯独身を強い られ、ストイックな一生を要求されるため、「世捨て」の覚悟が必要。ゆえに、希望者は減るばかり。
シングルの人生ももちろんOKだが、それを強制されるのは心外。
(そういえば、“妻帯”という言葉はあるのに“夫帯”という言葉はないと、今気づいた!)

宗教界において・・・というより“檀家を持つ寺の運営”において、女性は常に影の力として、夫である住職を支えてきた。
住職の妻は、“坊守”とか“だいこくさん”とか“おくりさん”と呼ばれるが、これ は巷の“家内”とか“奥様”などと同じで、裏方さんという意味。
妻は表に出ない分、檀家との折り合いに気を配ったりして、しんどい思いを一手に引き受けてきた。
そういう妻たちの声をしっかりと聴いていきたいという目的で、浄土真宗東本願寺に「女性室」という部署ができた。ジェンダー学習の公開講座を企画したり、広報誌を作ったり、“坊守”たちの会議を開いたり……いわゆる行政の男女共同参画室のようなところ。

すわ、これは宗教界に大きな風! と思いたいが、そこまではいかない。“坊守”はあくまで“坊守”であって、女性住職としての道は遠い。
「尼僧だけが結婚ダメというのは、納得できない。夫が坊守のカップルがあってもいいじゃないの」と、ある住職に抗議したら、宗門としては、尼僧の結婚に異存はないという返事。しかし、檀家や世間がそれを受け入れないため、宗門としては打つ手がないのだと言う。

この際、新風を送るために、瀬戸内寂聴さんあたりが“夫帯”してくれるといいんだけど……
(世俗を捨てるために仏門に帰依した寂聴さんに、怒られるかな)

 

 

 

 

 

 

 

 

5月3日
やもめ   (カノコ)

「やもめ」とは、もともと「夫帯」していない女性を指した語。
夫を失った女性もだが、独身の女性のことも言う。だから、竹取物語のおじいさんは、かぐや姫が「やもめ」であることを嘆く。
「やもめ」だから、これは本来女性のこと。
「妻帯」していない男性は、「やもを」。
もっとも、女性、男性を問わず「やもめ」といういい方の方がよく使われてきたらしい。

ワープロで「やもめ」と打って、変換すると「寡婦」という字が出てくる。
これは、元来中国の言葉。「寡」だけでも同じ意味。
さすが漢字の国、ちゃんと「やもお」もある。「鰥」。
もともとは、単独でいることを好む魚の名前だとか。

「ひとりでいること」は、普通でないこと。
だからこそ、「世を捨て」た僧尼は、家族を持たないものだった。
「家」を捨てた証として、彼らは、「姓」をも捨てたものだった。

「ひとりでいること」は、普通でないこと。
という、「常識」が変化せざるを得ない状況が進行している。
国勢調査のたびにはっきりするのは、「単身家庭」の増加。
そして、家族と暮しているものの、自らは新しい家族を作ることはない「未婚者」の増加。

男性より長寿の人の多い女性の場合、結婚しようとしまいと、子どもを持とうと持たまいと、平均寿命である80歳半ばのころには、かなりの人が「ひとり暮らし」になる、という。
21世紀は、「高齢社会」というより、「ひとり暮らしのおばあさん」の時代だ、と いったのは、「高齢社会をよくする女性の会」の代表、樋口恵子さん。

「ひとり」での生き方、なんて、「特別な人」のこととして考えたこともないうちに、気がついたらひとり、だったりして。

 

 

 

 

 

 

 

5月18日
母の日〜後ればせながら   (カノコ)

「母の日」が終わったとたん、売り場には「父の日」用プレゼントが並べられた。
6月の父の日目指して、相変わらずの商魂である。
が、なんとなく、商品の数も種類も、母の日用より、少なめ。
母の日=赤いカーネーション、ほどのインパクトが、黄色いバラにはない。

「母の日」というのがある国はたくさんあるようだが、アメリカや日本のように 5月の第2日曜日というわけではないらしい。
「全世界でいっせいに母の日を思う」というコラム(日経)を書いた春秋子は、「そうではない」という指摘を読者から受けて恐縮している。
フランスは、5月最終日曜日。イギリスはキリスト教の四旬節の4回目の日曜日(今年は3月30日)。ロシアは国際婦人デーの3月8日。メキシコは5月10日なのだそうだ。

「戦場で死に臨んだ兵士は、母のことを思うものだ」とよくいわれる。
父のことは、思わない。ことほどさように、「母」は子どもにとって、特別な存在 だ、と。
親、とはいっても、母と父の重みはそれほど違う。だからこそ、子どもが小さい間は、母親こそが育児に関わるべきである、と。

父の日より、母の日の方が、大々的なのも、そのせいだろうか。
が、「母」をしみじみ思うのは、「娘」より「息子」のほうに多いような気がする。
戦場の兵士は、今までほとんど男だった。女性兵士も「母」を思うのだろうか。
戦場になった市街地で、空襲を受けながら逃げまどう人々は、死に臨んだ時、「母」 を思ったのだろうか。

そこここにあふれる「母親礼賛」。
私も母親なので、それはそれでいい気分ではあるが、ちょっと気になる。
もしかしたら、「声の大きい」「権力を持った」人に「息子」が多いから、だけではないだろうか、と。