6月13日
洗剤と男たち  (カナコ)

男性のみを起用した「柔軟剤入り洗剤」のCMが、このところギョウカイの話題をさらっている。
従来、洗剤のCMは、「エプロン姿の若いお母さん」または「母と子ども」、そしてごくたまに「奥さんには逆らえないタイプの夫」のスタイルと決まっていた。しかし、この話題CMには、マッチョな男性しか出てこない。

そのCMにはいくつかのパターンがあるけれど、どれも出演は男性のみ。
合宿で洗濯物を干している後輩に、先輩が「お前、柔軟剤入れただろ?」と聞き、後輩が「入れてませんよ!」と必死に否定する場面。または、飛んできたタオルが工事現場の親方の顔にかかって、罵声が飛ぶかと思いきや、その柔らかさにとろけそうな表情をする親方。
いずれも、むくつけき男性と“柔らかさ”とのミスマッチを狙ったもの。

今までの発想だと、「エプロンかあさん」以外に思いつく手法は、他の洗剤との違いをガクジュツテキ?に訴えて、企業能力をアピールする方法。
今回だったら、「従来の柔軟剤はプラスイオンでした。だから、マイナスイオンの洗剤と一緒に使うと、二つがくっついて洗浄効果が落ちてしまったのです。しかし我が社は、マイナスイオンの柔軟剤を新開発しました!」とか何とか。
しかしそれをしないで、解説などは一切抜いて、さらに“柔らかさには縁のないはずの男たち”を前面に打ち出したら、売上げが一挙に延びたから、周りは騒然となった次第。

確かに、ギョウカイをひっくり返すほどCM効果は大きかったが、『効果』はもう一つ期待できるかもしれない。
このCMのおかげで、これからは、“マッチョ男性と洗剤”がミスマッチでなくなるかも・・・。

全くの余談だけれど・・・ 指導要領が新しくなって、中学の理科から「イオン」という言葉が消えた。イオンは高校教材。それで高校の化学の時間に、「生活の中で、イオンという言葉を、聞いたことがある?」との先生の問いに、生徒から真っ先にあがった答えが「ジャスコカー ド!」だったそうな。
そんな時代だから、柔軟剤の解説など省いたのは、大正解だったとも言える。
さらに、マッチョな男たちを引っ張り出したのは、男女共同参画社会への先見の明???

 

 

 

 

 

 

 

 

7月5日
オイ、オイ・・・   (カノコ)

7月に入って、夏バージョンになったのか、新しいCMにお目にかかる。
「オイ、オイ、そんなのあり・・・・?!」というCM、三つのおはなし。

健康ドリンクのCM。
会社で上司に怒られている男性。それを察知した妻は、アパートの階段を駆け上がり、夫にパワーを付けるべく、ドリンク剤を打ち込む。
「企業戦士」を支える、「銃後の妻」。 が、ドリンクを飲み干した夫に向って妻は言うのだ。
「ハタラケ!」

「ボクなりに、ボクなりに・・・」一生懸命働いて、疲れ果てた男性が帰宅する。
家にたどり着いた夫は、発泡酒を飲みながら、妻に寄りかかる。
手のひらほどの大きさの夫は、バージョン1では、妻の胸のところで。バージョン2では、妻の太股の所に。
そのうれしそうな顔は、「ごほうび」をもらった子どもの顔のようにも見える。

「亭主元気で留守がよい」というCMが一世を風靡したころには、ちょっと考えられないパターンである。
働く夫を叱咤激励し、やさしく癒し・・・・でも、それって、自分が楽をするため だったりして。
そんな「本音」が、何気ない場面から聞こえてくる。

コンパクトな冷凍野菜。沸騰したお湯に入れれば、すぐ使える状態になるという のがウリ。
その鍋の中をのぞきこむ、三人の主婦。
「おたくのご主人も、お湯ぐらい沸かせるでしょ? ご主人でも」
「急にひとりになっても、大丈夫よね。」

「働く夫」は価値があるが、退職したら、必要ない人・・・?
厚生労働省が2004年の年金改革で離婚時などに夫婦間で厚生年金を分割できる案を打ち出している。
それに対して、自民党などから「離婚促進につながる」「熟年離婚を助長させるつも りか」という声が出ているそうだ。
坂口大臣は「年金が分割できるようになったから離婚しようと言う人はいないと思う」といっているのだが。
離婚したら、自分の国民年金(満額で月約6万6千円)だけになってしまうから、という専業主婦たちは、さあ、この法案をどう受けとめるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月21日
主婦業  (カナコ)

冷蔵庫が壊れた。購入してから13年経つので、そろそろ寿命。
それにしても、多くの電気製品の中で、冷蔵庫ほどの勤勉な家電もない。連日片時も休まず、働き続けている。あらためて気づいたのだが、冷蔵庫には「ON・OFF」のスイッチがない。コンセントを入れただけでモーターが回り出し、祝祭日の休日もな く、正月・お盆は特に酷使される。

ON・OFFのスイッチがないことは、この際どうでもいいが、冷蔵庫のない生活は厳しかった。今回は、たまたま電気屋さんに行く暇のない日が続き、やっと注文しても配達ま で3日かかったので、結局1週間、冷蔵庫なしでの生活。
たった1週間である。しかし食中毒の怖いこの時期、1週間の暮らしぶりは惨憺たるものであった。
野菜は、ナスとキュウリとズッキーニと青シソが裏の畑で収穫できるが、ハム・ベー コンの類は、深夜のコンビニで購入。
何より大変だったのは保存ができないことで、食事の仕度のたびに畑やコンビニに走ることになった。

しかしこの「大変さ」が、妙に充実感を感じさせる。家族に対して「私が、こうまで して食べさせている」という、ちょっと胸を張った気分。「主婦をやってるわよ」というところか。
ということは、いかに日頃が楽をしているか・・・ということでもある。
昭和30年代までの主婦は、自動追い炊きの風呂釜など想像もつかず、洗濯機もなく炊飯器もなく、すこし地方になれば水道もなくガスもなく・・・家事は確かに「労働」であった。しかし、現在の家事一般が、労働といえるのだろうか。

私は、決して経済効率が優先するとは考えていないが、「仕事」と呼ぶものは、 やはり収入につながるものではないかと思っている。そして、仕事を続けたいと願う女性には、それができる社会システムでなければならないと思っている。
しかし、それを言うと必ず反論される。「主婦業に誇りを持て」とか「主婦業をお金に換算すれば少ない金額ではない」とか「家族の精神的な支えになっているのだ」とか・・・。

でも今回、新しい冷蔵庫を前にして、つくづく感じた。
これだけ電気製品に恵まれた中で、誇りの持てるほどの家事があるのだろうか・・・ と。
ましてや、いくら換算してみたところで、それを誰かが支払ってくれるわけでもない。せいぜい夫の年金を分けてもらうだけ。
そして、もしかしたら、「主婦として、家族の精神的支えになっている」のと、「家族の自立の妨げになっている」のとは、紙一重かも・・・と。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月29日
三種の神器   (カノコ)

「電気冷蔵庫」「電気掃除機」「電気洗濯機」が、「三種の神器」といわれた時代がある。
この三つを備えることが、「家庭の主婦」の夢だった、という。

掃除は、ホウキとハタキとゾウキンでするもの。
洗濯は、タライと洗濯板と固形石けんでするもの。
生鮮食品は、毎日、その都度買物するもの。

「電気冷蔵庫」が壊れたカナコさんは、そのころの家事の一端をいみじくも体験できたという。
「電気掃除機」が壊れてすぐ手に入らないとき、さあどうする?
ホウキとかハタキがある家の方が今や珍しい。
タライと洗濯板・・・は、「昭和村」にでも行かないと見ることさえできないかもし れない。

その「三種の神器」が現れ、普及したのは、1960年代であった。
そして、その「家電」に憧れ、新しい「家電」で家事を行ったのが、今60代の「主婦」たち。
「高度成長期」に「銃後の妻」として「企業戦士」を支えた人たちである。

「滅私奉公」で男を働かせるために、家事、育児その他の「面倒」をすべて引き受ける「妻」を、たいていの男が持てた。
当時の婚姻率、女性98%・男性97%。
日本始まって以来の瞬間最大風速的な高婚姻率。
パパとママと二人の子どもが「標準家族」になったのもこのころである。

そういう「家族」を作り上げてきた男たちが、今、社会を動かす中枢にいる。
「家族」というものは、そういうもの、という信念は、強い。
しかし、それから40余年。その前提がじわじわと崩れはじめている。

60年代、1%台だった40代後半の男性の未婚率(離別・死別を含まない)が上昇し続けている。
先年の国勢調査で14%を超え、2020年には24%、だいたい4人に1人が、未婚者になるだろうと予測されている。
(女性の未婚率は国勢調査で6%強。2020年に13%強。そもそも現在40歳以下では女性の数そのものが少ない)
「母」の次に「主婦」をしてくれる「妻」を持たない層が確実に増えてくる。

コンビニ・深夜営業のスーパーに電子レンジ。
乾燥機つき全自動洗濯機にクリーニングサービス。
掃除機とレンタルモップ、それに現在開発中のお掃除ロボット。
「専業主婦」なしに「生活」するための「神器」は、フルタイムで働く「主婦」のた めの「神器」でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

8月16日
乱れか 変化か   (カノコ)

「千円からお預かりします」
「おタバコのほう、お吹いになりますか」
「私には役不足の仕事ですが」
「これ、食べれる?」等々。

最近耳にする「新しい」日本語の言い方。
これは「乱れ」で許してはならない!
時代に伴う「変化」の一種なのだから、どうしようもない。
折からの「日本語ブーム」ともあいまって、さまざまな議論が聞こえてくる。

先天的に「言葉」を身につけている人はどこにもいない。
「言葉」は生まれてから、成長の過程で身につけていく。
20歳前後までに覚えた言葉は身に付いて、加齢にともなって忘れることは少ない。
だから、いつの時代でも、「最近の若者の言葉は、ケシカラン!!」ことになる。
なにしろ、自分の使用言語は、30年ぐらい前に使われていたものだから。

テレビは、茶の間に1台あるだけ。茶の間には、ちゃぶ台があった・・・そんな 頃。
そのころの暮らしがどんなに「懐かしく」ても、そのころに戻れるか。
ちゃぶ台は正しくて、ダイニングテーブルは間違っているか。

最近の国勢調査からわかること。
第1子の誕生が、婚姻届から数えて短すぎる(ひらたく言えば、結婚式の時に妊娠していた、または子どもが出生していた)カップルが、子どもを持った夫婦の23%強いるという。
つまり、結婚した夫婦の4組に1組が「できちゃった婚」。
これは、「乱れ」なのか・・・?

「足入れ婚」というのが、30年前には、まだ普通にあったなあと思うのは、私ぐらい?

 

 

 

 

 

 

 

 

8月19日
三界に家なし  (カナコ)

父の入院に付き添って、このところ終日、病院暮らし。6人部屋の中では、様々な人生ドラマが繰り広げられている。

80代後半の男性、すでに8年ほど寝たきりで、ここ1年ほどは話しかけても反応がない状態が続いている。それでも今までは何とか食物の嚥下はできていたようだが、今回それも不可能となり、胃に穴をあけて直接流動食を入れる管を作るための入院。
その男性を介護する妻も、ほぼ80歳。退院を控えて、流動食の投入、薬類の投与、胃チューブの着脱などの操作を看護師から学ぶ妻のまなざしは真剣で、すべてを担おうする妻の覚悟がひしひしと伝わる。

老々介護の妻は言う。「私は、どんなことをしても、この人には一日でも長く生きていてもらいたいのです。」
この至れり尽せりの介護は、金婚式をとうに過ぎているからこその、壮絶な夫婦愛なのか。

しかし、何日か同じ病室で過ごす間に、その妻からこんな話を聞いた。
「私たち、娘に婿をとって同居しているんですよ。だから、この人にもしものことがあったら、私は娘たちの“かかりうど”になってしまうんです。でも、この人さえいれば、私は大きな顔をしていられます。例え寝たきりでも、この人が一家の主(あるじ)ですから」

「妻は、夫が亡くなっても、主(あるじ)には昇格できない」ということか。
しかしこの夫婦、経済的に困窮している様子はなく、娘夫婦も毎日病院を訪れて母親を助けようとしているのだが、手を出す隙がないだけ。
そんな恵まれた状況の中でも、「女三界に家なし」という思い込みは、女たちの心の奥底にしっかりと根をおろし続ける・・・。