1月15日
イケメン  (カナコ)

昔ながらのヒビ割れた鏡餅でぜんざいを作りながら、女性の適齢期の話を思い出した。
初婚年齢が高くなって「クリスマスケーキ説」が消えたあと、聞こえてきたのが「みそか蕎麦説」。29までは許せるが、30過ぎたら女はおしまいという意味だった。
その後、またまた初婚年齢が上がり、「正月の餅説」が浮上。30過ぎて「1〜3」まではよいが、松が取れる頃「7〜8」になったらヒビ割れてオシマイということらしい。
この比喩は、一見許容量が広がったかに見えるが、「女は若さで勝負、女の価値は見栄えで決まる」ことに変わりはない。 相変わらずあちこちでミス・コンテストが開催され、「若さや美しさ」は女性の付加価値とされて、「受付嬢は美人でなきゃ」とか「若い女性に入れてもらったお茶はおいしい!」という言葉が飛び交う。

しかし最近、男性の見栄えを評価する「イケメン」という言葉が市民権を得てきた。
これまで女性誌の「いい男ランキング」として、「男の品定め」は有名人に限られていたが、それが企業にまで波及し始めた。東京のプランタン銀座というデパートが、男性モデルを受付として採用したのは昨年の秋。これは、若い女性客をターゲットに した、プランタンならではの企画。
受付だけではなく売り場の社員も若い男性を配置し、お客さんの反応は上々だという。配置された男性社員も、「イケメンと呼ばれることは嬉しい」とのコメント。
デパートだけではなく航空会社も、見栄えのよい男性の客室乗務員を搭乗させるところが出てきて、これも女性客には評判がいいとのこと。

考えてみれば、「男は顔じゃない」という価値観がまかり通っていたのは男性社会だけであって、女性は「若い男性に入れてもらったお茶はおいしい」と、思っても言わなかっただけなのかもしれない。
しかし、長い目で見たらやはり「中身」・・・
だからこのリレーエッセイのコーナーに、顔写真は添付しませんが・・・
今年もまた、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

1月28日

嫁入り前の娘   (カノコ)


新しく市民権を得る言葉がある一方で、使われなくなる言葉もある。
先日、古い本を読んでいて、「嫁入り前の娘」という表現にぶつかった。
ついこの間まで、普通に聞かれた言葉だが、そういえば最近はとんとご無沙汰。

「嫁入り前の娘」がいなくなったからでなはない。
あんまり多くて、幅が広くなって、そう特定できなくなってきたから。
1970年にも、75年にも24歳だった(まさに”クリスマスケーキ”)女性の平均初婚年齢は、今や27.2歳。
20代後半の未婚率は54%、東京では65%(2000年国勢調査)。

4半世紀前には、「嫁入り前の娘」といわれたのはだいたい20〜25歳ではなかったか。
「嫁入り前の娘がそんなことをして!」
「そんなことをすると、お嫁にいけませんよ!」
そんな言葉が、脅し文句になっていたころが、そういえば確かにあった。

脅されて、あわてて嫁入りした彼女たちが、今の「未婚女性」の母親たちの世代か。

水の婚  草婚  木婚  風の婚  婚とは女を昏くするもの  (道浦母都子)

「昏い」 くらい、と読む。
「婚礼」が、本来「昏夜=やみ夜」に行われたことから来た字らしいが。
この歌を詠んだ歌人は、1947年に生まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月22日
悲しい性(さが)  (カナコ)

最近、大手の企業や公務員に「定年前講座」が実施されている。
60歳から始まる長い「第2の人生」を、テレビの前に鎮座するだけの粗大ゴミで終わらないように、趣味を持ったり地域活動に参加しようという目的で、ライフプランを立てたり、パートナーとの関係性を問い直したりする講座である。

定年退職して、「これからはボランティアとして市民活動をする」と一念発起し た、ある男性がいた。彼は、NPOの事務所をしっかりと預かるからと、張り切って通い始めた。
しかし、電話が鳴っても手を出さない。電話は、女性が取るものと思い込んでいる様子。
コピー機も目に入らないようで、女性に、「これ、コピーして」と、当然のように言いつける。
ついに仲間からたしなめられて、居心地が悪くなった彼は、「会社はよかった」という言葉を残して去って行った。

組織に属して生きることがすべてであった男性の、悲しい性(さが)なのか、定年後に地域に戻った男性の評判は、決していいとは言えない。
「名刺を作りたいから、役職がないのなら、せめて○○担当という肩書きがほしい」 と言ったとか・・・
「世間話ができず、話題は、会社時代の手柄話だけ」だとか・・・
「やたら、細かい会則を作りたがる」とか・・・

部長・課長の肩書きより、もしかしたら『ただの人』という「人生の部署」が、一 番むずしいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2月28日

手鍋下げても   (カノコ)


♪母さんが 夜なべをして・・・
という歌を聴いて、「お母さんばっかりずるいね!」と言った子がいたそうだ。
子どもが寝たあとで、自分だけごちそうの「夜鍋」を食べた、と思ったらしい。

「夜なべ」が分からない時代には、「手鍋さげても」もおそらく死語であろうが、「好きな人と夫婦になれるなら、どんなに貧乏な生活でもいい」という意味で使われてきた語である。

「手鍋下げても」と一緒になっても、何十年にわたる結婚生活で、二人の間も変わってくる。
「妻の声 昔ときめき 今動悸」(第一生命 サラリーマン川柳より)

そして、
「定年後 犬もいやがる 五度目の散歩」

「あ、梅が咲いているね」「木蓮のつぼみもふくらんできた」と、二人で散歩す る関係は、一朝一夕にはできない。
「オイ!散歩行くぞ!」の命令に、犬でさえ辟易としている・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月19日

年賀状   (カノコ)


桜の便りが聞かれるこんな頃になって、やっと年賀状の整理がすんだ。
めっきり、パソコンで作成された年賀状が増えた。
そのせいだろうか、個人名で差し出されたものが多かった。

年賀状は、家族全員の名前を書くもの、それが「ふつう」だった。
一人が二人になり、二人が三人、四人になり、(ときどきペットの名前も書いてあっ たりして)、そして、また減っていって・・・
個人名の賀状を出そうものなら、「離婚したの?」なんて聞かれかねなかった。

印刷屋さんに頼んでいた頃は、家族誰もが使えるように、家族連名のが多かったのかもしれない。
パソコンで作れば、名前を入れたり外したりはいともたやすいことだから、わざわざ相手が直接知りもしない他の家族の名を入れようとは思わないのだろう。

年々歳々花相似たり。
歳々年々人同じからず。

人が出す年賀状が、様変わりするのも、当然のことだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

3月22日
長男  (カナコ)

年賀状などに家族全員の名前を書こうとする時、子どもはどう いう順に並べる?
学校式に背の順・・・ということはないだろうから、ほとんどの場合が生まれた順。

日本は、生まれ順を必要以上に重視する。それも「第一子・第二子」という表記ではなく、男と女に分けて、戸籍にも「長男」や「次男」と記載される。
だが、この順序は、同じ父母を持つ兄弟姉妹に限られるから、再婚・再々婚の場合は複雑。
最初の結婚で男の子が産まれれば、その子は当然「長男」。しかしその後離婚し、再婚後にまた男の子が生まれると、この子も「長男」と記載される。新しいカップルにとっては、その子が長男だということ。
さらに死別や離婚で再々婚となり、また男の子が生まれれば、この子も長男。
かくして、長男を3人4人と持つ人ができる。

ただ、この記載は婚姻届を出している夫婦の子どもだけであって、婚姻届を出していない夫婦の子どもは、きょうだいが何人いてもすべて「男」「女」「女」という、順番なし・性別のみの表記。
しかし今月、「婚姻届のあるなしで、子どもの記載を差別してはならない」という裁判所の判決が出て、表記の区別はなくなることになった。
多分、婚姻届のあるなしにかかわらず「長男・次男」に統一されるのだろうが、長子相続のない現代、生まれ順を表記する必要があるとは思えない。

戸主制も長子相続もなくなった現代、続柄は、住民票と同じように「子」で十分・・・と思うのは、我が親からいまだに「お姉ちゃん」と呼ばれる違和感を痛感しているからだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

4月5日

   (カノコ)


夕方になって雨も上がり、昨晩は、満開の桜に満月だった。
旧暦でいうと、2月15日。
西行という歌人はこんな歌を詠み、その希望の通り2月16日に死んだという。

願はくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

佐藤義清という名の北面の武士(鳥羽上皇に仕えた)であった彼は、23歳の時突然出家した。
理由はいろいろ取りざたされるが、はっきりしたことはわからない。
が、彼は武士としての立場だけではなく、妻も子どもも捨てて出奔したという。
「佐藤」という「姓」を捨てるということはそういうことでもある。

「出家」してしまえば、「親」も「子」もない。
誰それの、「長男」であるとか、「次男」であるという立場も捨てられる。
が、それは、「家族」に看取られて死にたい、という望みを捨てることになる。
たったひとりで死んでいくことの恐怖から、ひとは「家族」を作ろうとするのかもしれない。

すべて世俗のつながりを絶って、彼が選んだのは「仏弟子」。
「その きさらぎの 望月」=2月15日は、釈迦入滅の日だという。

 

 

 

 

 

 

 

 

4月20日
深くて暗い川  (カナコ)

心地よいさわやかな気候に、大型連休が重なる季節・・・結婚式の招待状が続けて2通届いた。
1通は2人の連盟で、「私たち結婚しますので、できましたら立会人になってもらえませんか。」と書かれた、若葉色の手作りの招待状。
もう1通は、差出人は親の名前で、「○○長男△△と、◎◎長女▽▽が結婚の運びとなりました」と書かれた、金縁の荘厳な招待状。

知り合いの何人かが、2組の招待状を受け取って、その形式について賛否両論、喧々諤々。
「結婚のあり方」をあらためて問い直したい人々と、日本文化の伝承を大切にすべきだという人々とでは、賛否はどこまでも平行線。
「時代は変わった」と言われているが、依然としてゆらぎもしない価値観も、そのまま残っている。

「変わらない」と言えば、朝ドラのヒロインのセリフ。
BSで、10年前20年前の「朝の連続ドラマ」を再放送しているが、どの朝ドラでも、ヒロインに必ず言わせているセリフがある。
「これからは、女も、自分の足で歩いていく時代なのよ」
彼女たちが、毎度宣言している割には、「そんな時代」は一向に到来しないのは、日本の七不思議のひとつ?

ずっと昔に、「♪男と女の間には、深くて暗い川がある〜」という歌を聴いたことがあるけれど、もしかしたら、変わる人たちと変わらない人たちとの間にも、超えられないほどの大きな川があるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

5月22日
根性  (カナコ)

オリンピックまで、あと80日とかで、参加メンバーが刻々と決まってきている。
今回は、女性選手の数が、初めて男性選手の数を上回ったそうな。

女性選手が多くなった理由を、監督陣はこんな風にコメントしているという。
「一つには、女子バレー、女子ホッケー、ソフトなどのチーム競技に、女子選手が多いということが大きな理由であるが、それだけではないような気もする。女性は、いざとなると腹をくくれる強さを持っているし、勝負に対する潔さもあるのではないか。男性は瞬発力に優れ、女性は持久力に優れていると言われているが、瞬発力が要求される競技でも、記録を出すために要する長い練習は、根気がないと続かない。結局、コツコツと続けられる女性の方が、いい選手になっていくのかもしれない。」

確かに、日本の女子バレーやホッケーが強いとするなら、男子バレーやホッケーも同様に強くていいはず。そうならないのは、“根性”の差なのか
とすれば、ひところの男性が夢中になっていた「巨人の星」や「あしたのジョー」は、彼らの“ないものねだり”だったということか。

オリンピックそのものには大して興味はないが、監督陣が女性の底力に気づいてくれたとすれば、その点だけはちょっと嬉しい。
四面楚歌のヨメの場で、しゃもじ権を得るまで耐え続けてきた「女のしたたかさ」のDNAが、今世紀になって、やっと花開いたのかも・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

5月29日

おてんば   (カノコ)


結局男子バレーは、オリンピックの出場権を手にすることができなかった。
立ち向かう「心」が甘く、幼すぎた、と評した人がいた。
素晴らしい選手だと学生時代からもてはやされ、大切にされすぎて、「根性」など必要なかった・・・?

知り合いの高校生に、「どんな高校生だったのですか?」とたずねられた友人がいる。
「おてんばだったわ」と答えたら、「おてんば・・・?」と怪訝な顔をされたという。
「おてんば、っていわない?」「さあ、聞いたことない」と彼女は答えたそうだ。

〈女性としてのたしなみを忘れて、ふざけさわぐ少女(女性)〉(三省堂『新明 解国語辞典』)
という説明(すでに「たしなみ」も死語かも知れないが)がある。
元気で、活発な少女にいわれた「おてんば」という言葉。
いかにもいわれそうなその高校生が知らないという。
「そういえば、今の女の子は、元気で活発なのが当たり前だから、取り立てていわないのかしら」とは、その友人の感想。

大きく、強く、しなやかに、たくましく、粘り強く闘い抜いた女子バレーの選手 たち。
背が高いことを恥じ、前屈みに歩いていたその昔の少女たちとは全く違う存在である。
伸びやかに大きく、強さを誇る彼女たちに大声援を送るファンたち(体育館は少女たちの歓声で満ちていた)。
存在しなくなったから、言葉が使われなくなったのではない。
取り立てていう必要もなくなったから、言葉が使われなくなった。

「東洋の魔女」から40年が過ぎた。
「おてんば」を「お転婆」と書くのは当て字。オランダ語の「ontembaar」の変化だという説がある。
「ontembaar」は、「野生の」という意味だそうな。
とすると、「少女や若い娘が、つつしみなく活発に行動すること」(岩波書店『広辞苑』)は、野生の、つまり生まれついてもった本性、ということか。
「たしなみ」という枷をとっぱらって、現代のバレーの女神たちは輝いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

6月17日

永久就職   (カノコ)


「大きくなったら何になりたい?」という質問に、多くの女の子が「お嫁さん!」と答えていたころがあった。
最近の、小学生の職業希望調査のランキングで「お嫁さん」という答は見たことがない。
「お婿さん!」と答える男子はいなくて、「お嫁さん!」と答える女子がいたころ、結婚は「永久就職」ともいわれた。

会社に勤めるかわりに、結婚する。結婚すれば、一生「食べていける」。
高度成長のとば口にさしかかった昭和30年代のことだったろうか。
農村から多くの若者が都会へでてきて勤めはじめたころ。
それは、先祖伝来の土地を継承することのない、次男以下と女性たちがほとんどだった。
働けば働くほど豊かになれた時代。長時間労働を支えるために、男性には「お嫁さん」が必要だった。
日本の企業はより高い生産性を求めて、家族給という形で、家族ぐるみで彼らを養ってくれた。
男性よりうんと安い賃金で働き続けるか、「お嫁さん」になるか、そんな選択があったからこその、「永久就職」。

先頃、2004年版の「男女共同参画白書」が出た。
30年前には、女性は一生無業もしくは結婚したら専業主婦がよいと考える男性が、全体の約4割を占めていたが、2002年では約1割まで減少しているという。
また、「子供ができてもずっと職業を続ける」と中断なし就業を支持する男性が1992年の19.8%から2002年は37.2%とほぼ倍増。「子供ができたら職業をやめ、大きくなったら再び職業を持つ方がよい」の一時中断型支持(31.8%) を逆転したのだそうだ。
このことについて白書は、次のように分析している。

《一時中断型支持と中断なし就業支持を合計すると、7割近くの男性が女性の就業について肯定的な考えをもっている。この男性の急激な意識変化を、過去からの社会情勢に重ね合わせてみると、賃金の伸び悩みやリストラの増加などの厳しい経済社会情勢が、その意識にかなり影響していると考えられる。現在の日本では、給料が右肩上がりに増えていた高度成長期とは違い、家族のうちで男性一人が働く構図では家計を支えきれなくなるリスクが増大している。生計を維持することへの危機感が、世代に関係なく、女性もともに働くことを支持する男性の増加を促している大きな要因と思われる。 》

意識の変化の最大の原因は、「男女共同参画の啓発」ではなく、経済状況がもたらしたもの。

一方女性は、「お嫁さん!」と答える子がいなくなったことでもわかるように、結婚後も働きたいと考える女性はこの30年間で増加している。
特にこの10年間で「ずっと職業を続けるほうがよい」と考える「中断なし就業」支持の女性が急増しており、2002年では、1972年の3倍以上の38.0%となったのだそうだ。
が、数として多いのは「子どもが大きくなったら再就職するほうがよい」と考える 「一時中断型」の支持者で、40.6%。

子どもができても働き続けて欲しい、と願う男性と、一時お休みしたいという女性。
女性の「意識改革」の方が、遅れているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

6月27日
ママさん選手  (カナコ)

オリンピックの女性選手の割合が増えたのにも、厳しい経済社会情勢が影響している。
前回、「女のしたたかさのDNAが、今世紀になって花開いたのかも・・・?」と書いたのは、ついこの間まで「女にはマラソンのようなハードな競技は無理」などと信じてたスポーツ関係者への、ほんの少しイヤミ。

不況のせいで、今までの“企業スポーツ”という形態が維持できなくなり、それまで 「走ったり・投げたり」していればよかった選手たちが、普通の仕事も十分にこなしていかないと、企業に在籍することが難しくなった。
その影響を大きく受けてしまったのが、男性選手たち。
一家を担う家計を維持するために、多くの時間を、デスクワークや営業に費やさねばならなくなった。

一方、女性側に起きたのが、意識の変化。
「スポーツを続けるには独身でないと無理。結婚すれば引退」というお決まりのコー ス以外に、日本でも、「結婚しても走り続ける・子どもを産んでも飛び続ける」という選択肢が出てきた。

男性の場合、子どもがいるかどうかは、選手の紹介事項に入っていない。しかし、女性選手に子どもがいることは、結構なニュース。
アテネでは、メダルの数より、スポーツキャスターが「ママさん選手!」と言うかどうかの方が、ちょっと楽しみ。